ついにあの場所へ・・・
昨夜は “カディ” と仕事帰りに 「一杯やってく?」 って話しになり、ラーメン二郎へ行きました。
いっぱい食べてきました。 局長です。
――― さて、もはやいつから続いているのかも分からなくなってきた京都ツアーのお話。
降ったり止んだりの雨に踊らされながらも、荘厳な金閣寺を回り切った我々は、次なる目的地へと向かうべくそこを後にした。
とりあえず車まで戻ろうと、西大路通を来た時と逆に歩いていると、とても不思議な光景が目に飛び込んできた。

4軒連続の金閣寺系ネーミング。
地域の名称を店名に使う例は数多くあるが、まさかの 「近所にあるお寺」 の名前。
日本が誇る世界遺産だけに、そこへ便乗しない手はないということか。
そして、ようやく車に乗り込み南方向へと走らせること30分。
雨も完全に止んで、それまでの苦労は一体なんだったのかと唇を噛んでいる矢先、我々は次の目的地へとたどり着いた。

それが、ここ。
どこだか分かるだろうか。
四条大宮駅の付近である。
少し寄ってみよう―――

「新選組 壬生屯所跡」
その傍らで、ダンダラ模様が入った浅葱色の羽織を着た隊士が。
そう、ここは新選組が屯所として使っていた旧前川邸。
幕末に、新選組が実際に使用していた建物が、ほぼそのまま残っているのだ。

明治以降は売りに出され、現在では個人の住居となっているので、室内への拝観はできないが、土日のみ表玄関から土間までは見学できるようになっている。
そして、いつ来ても新選組を愛し、グッズを買いに来ている歴女(れきじょ)たちで賑わっている。

しかも今回は、真熊にこんな格好をさせた状態で来てしまったので、あっという間に歴女たちから囲まれるハメに。
完全に同類だと思われたに違わない・・・・・
俺は純粋に新選組隊士の生き様が好きなだけで、間違っても歴史上の人物に恋しちゃったりはしていない。
沖田総司のことを 「総司サマぁ~」 なんて呼ぶ趣味もないぞ、くれぐれも。

「新選組」 という、本当のラスト・サムライが住んでいた家だよ。
我が家にも関連グッズが多数あるだろ?

そう!
京都出身のお前には、その血が脈々と受け継がれているに違いない。
いいか? 真熊よ。
この建物で、どんなドラマが繰り広げられていたか分かるか?

ほんの150年前は、お前から見て左前にある部屋で野口健司という隊士が切腹して、左後ろの方にある部屋で総長だった山南敬助が切腹して、さっき写真を撮った門の前にあった水菜畑で楠小十郎という隊士が長州藩のスパイという容疑で惨殺されたんだぞ。
そんな血塗られた屋敷で現在も暮らしているご当主一家は、ある意味スゴイな!

今ではフィクションと言われているこの法度。
実際には最後の 「私ノ闘争ヲ不許」 を除く4項目が 「禁令」 として制定されていただけらしい。
でも、切腹などの粛清で命を落とした者は、33名・・・・・
恐ろしや、恐ろしや。
そんな旧前川邸。

かれこれ10回近く来ている俺・・・・・
これで俺まで新選組の羽織を着ていたら、完全に歴史オタ扱いだったな・・・・・
甲子園球場の阪神応援団の席に、巨人のユニフォームで乗り込んだら、まず生きては帰れないように、もしここに薩摩藩・長州藩の家紋とかが入った羽織でも着て表れたら、それは歴女たちから傘で “突き” を連打されることでしょう。
※沖田総司の得意技は 「三段突き」 と言われている。
そんな 「歴史史跡」 と 「歴女スポット」 とで紙一重の旧前川邸での真熊に―――

最近マジでランキング低迷状態・・・・
京都レポートが長過ぎてるかな???

いつもアリガトウございます m(_ _)m
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【今日の一言】
巨人・・・・
どうした巨大補強戦力。
【被災地のペット支援のためのリンク】
■被災地入りして活動しているドッグレスキュー
>>> 『ドッグレスキュー UKC JAPAN』
| 真熊お出掛け | 04:26 | comments:204 | trackbacks:0 | TOP↑
充分「歴オタ」に見えますよ




局長って「熱く語る人」だったんですね~
昨日の夜のコメント欄から今日の記事まで読んでると、黒ぽんさんが語ってるのか?と思うくらい熱さが伝わってきます。
私は熱く叫んじゃうよ~
愛してますぅぅぅ
| どどすこ | 2012/04/05 05:26 | URL |