プラハ城にて | 局長、世界を歩く
イチローはプレーイングコーチなのか、自ら引退を決意するまでの名誉職なのか、あまりにも微妙なポジションに我々ファンは複雑な心境ですよね。 まだできるのに。 局長です。
――― さて、本日もGWど真ん中ということで、例のレポート続編を粛々と進めよう。

連休中はアクセスも少ないので、ちょっとペットブログからは逸脱させてもらって、俺の「世界の車窓から」的なレポートを。
チェコ入国の二日目、この日二つ目の目的地である “プラハ城” にやって来た俺。

チケット売り場には、日本語の表記もあった。
きっとこれはバブルの時代に日本人がこぞって訪れていたからだろう。
現在に至っては、俺以外の日本人には一人たりとも会わなかったくらいだが。

チケットは、拝観する施設の構成(数)によって何種類か分かれていて価格も変わる。
俺は無難なスタンダードなコースをチョイス。
「250コルナ」なので、日本円だと1,250円くらい。

“聖ヴィート大聖堂” の内部に入ってみると、ヨーロッパ人の観光客でごった返していた。
一部、韓国人のツアー客も。
中国人の団体客でなく、韓国人というのが意外だったが、その理由はまた後日に。

昨日も綴ったが、1344年に建造された歴史ある教会。
日本の場合、足利尊氏が征夷大将軍になり室町幕府を開いたのが1338年なので、足利初代将軍時代の7年目ということになるのだが、その時代にこんな技術を擁していたなんて・・・・

ステンドグラスを一つとってもこのクオリティ。

絵画も彫刻も、とんでもない芸術性。
ちなみにこれは、「聖バーツラフ礼拝堂」。

ヨーロッパと韓国の団体客が途切れたわずかなタイミングを逃さずに記念撮影。
重機もない時代に、どうやってこれだけの石を積んだのやら。

きっと数え切れないほどの死者やケガ人が発生したことだろう。
今だったら労災モノだ。
そしてこれは、ハプスブルク家の霊廟。
ときにこの教会、磔のキリスト像があちこちにあるのだが ―――

その方向性が、どれも違い過ぎて困惑してしまう。
このイエスはあまりにもやつれているし、平面的。
元々は不健康な人物だったのかと思ってしまいそうな外見だ。

そうかと思えば、こっちのイエスは肉体美もあり、芸術性も高い。
とにもかくにも、こうした磔のキリスト像が3歩進めばぶつかるくらい大量に掲げられているので、熱心な信仰からなのか、もしくは当時流行の “オブジェ” 感覚だったのか、ちょっと疑問に思ってしまった。

聖ヴィート大聖堂の内部を隈なく見学したところで、外へ出てその側面に回り込んでみる。
やはりカメラのフレームには納まり切れない。

自分も一緒に写ってみようと試みるも、やはり建物が切れてしまう。
なんて “インスタ映え” を考慮していないサイズ感なのか。

城内を進むと、少し開けた広場があり、日本でいう露店みたいなお店が数軒出ていた。
鎧の騎士が振り回していそうな刀のおもちゃが売られていたが、これは日本に例えると、“観光地に売っている木刀” みたいなものだろうか、高尾山とかの。

そんなことより、旅行先にチェコを選んだ大きな理由は、“モルダウ” 以外にももう一つある。
ビールだ。 チェコビール。
とにかくチェコではビールに溺れようと思っていたので、こうした露店でさえ俺は飲む。

アテとしてバーベキュー串みたいなものを買ったのだが、チェコ・・・・あるいはヨーロッパ全体なのかは分からないのだが、必ずパンが付いてくるのだ。
しかも、この茶色いパンは、ちょっと酸味のある味で美味しくない。

とりあえず見知らぬヨーロッパの民たちと、テーブルを共にしてビールを堪能。
観光地価格のせいか、一杯300円というチェコにしては高値だったが。
次に、同じプラハ城内にある “聖イジー教会” へ。

聖ヴィート大聖堂よりはるかに昔、920年に創建されたらしい。
その後、拡張やら大火事による改修などはあったようだが、とはいえ歴史が深い。

920年といえば、日本でいうと “将門の乱” 起きる15年も前で、平安時代だ。
ちなみにこれは、「聖ルドミラ礼拝堂」。

聖ヴィート大聖堂ができるまでは、この地下祭室に王家の人たちが埋葬されたそうな。
ミイラの像(本物のミイラでなく、ミイラの彫刻像)というオカルトチックなオブジェもあって、不気味な雰囲気をかもし出していた。

この絵画は、どんな場面を描いたものなのだろう。
王様 「俺、豚肉食えないて言ってんだろがぁ~~~~!」
・・・・だろうか。

次は、“黄金の小路” という通り。
でも、可愛らしい名前に反して、いきなり大砲やら大型ボウガンなどが置いてある。
まぁお城なので、武器はあって当然なのだが。

小さな家が並んでいる小路で、お城に召し抱えた錬金術師や番兵が住んでいたらしい。
現在これらの家は、室内がそのまま保存されて見学コースになっている家と、お土産屋さんになっている家とに分かれている。

前者はこんな感じで、ガラスが張られた見学コースに。
インテリアや式パッドに動物の毛皮がこれでもかと使われており、当時の “力の象徴” だったことが窺える。

建物の二階には鎧が展示されている。
日本の武将の甲冑も、人によりデザインが様々に異なるが、これら西洋の鎧も同様で、すべて装飾が異なるのだ。

このデザインを発注しちゃった武将は、一体どんな人物だったのだろう。
本人の中ではイケていたのだろうか。
それとも、空を飛ぶ鳥に憧れを抱いていたのか。

そういえば、これまで絵画の中でしか見たことのなかった “ザビエルの服” に付いているあの特徴的な襟の実物を見ることができた。
洗濯が大変そうな構造だったが、当時は何ゆえこんな襟が流行ったのやら。
つづく・・・・
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【今日の一言】
イチロー以外の外野手4人が復帰したけど、マイナーに落とすのは忍びないからだろうな。
| 局長 | 14:55 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑