九十九里浜ぐま [後編]
「ラッスンゴレライ」 の面白さが1㎜も理解できないのですが、歳のせいでしょうか。
一発屋のニオイをプンプン感じるのは果たして俺だけなのか。 局長です。
――― さて、金曜日からのつづき。 2月11日(水)の建国記念日のお話。

のっぴきならない事情があって、高速道路を一路東へ疾走していた俺と真熊。
千葉東金道で房総半島を横切ると、目の前には九十九里浜が広がっていた。
いつもならスルーしているこの浜辺に、この日は思わず立ち寄ってしまっていた。

初めは、また泳がされるのではという不安からか、浮かない表情を浮かべていた真熊も、この果てしない浜辺を一緒に走ってみると、すぐに笑顔全開となった。

さすがは不純物ゼロの体育会系。
走っただけで機嫌が良くなるなんて、安上がり過ぎる。
脳みそまで筋肉でできているようだ。

砂浜の奥に見える突堤のような物が元いた場所。
けっこう走ったものだ。
息が上がることもなく、常に笑顔で・・・・

しかし、海というロケーションは、ある意味最強だ。
真っ黒くて毛むくじゃらな犬でさえ、なんとなく洗練された感じに写る。
大阪弁でいう最上級の褒め言葉の場合、「シュッとしている」 といった感じか。

たまにはこうして、都会の雑踏や喧騒を忘れて、日がな一日、真熊と二人で波しぶきや水平線をぼんやりと眺めたりするのもいいものではなかろうか。
瓶に手紙を入れて、沖へと流してゆくようなロマンチックなことにもトライしてみたいものだ。

「真熊よ、この海の向こうには、U.S.Aが広がっているんだぜ」
なんて言葉を掛けながら、少しの間だけ海を見つめる俺たち。
そして、「ジョン万次郎はよく生きてたな・・・・」 なんてことも同時に考えていた。

ここで注意しなければならないのは、海を見つめる際のフォームは、“スタンディング” か “体育座り” だということ。
俺のようにヘタにしゃがんでしまうと、必要以上に背中に哀愁が漂ってしまうのだ。
背中で孤独をアピールしているようなイタイ男になることだけは、俺のプライドが許さないのに。

しばし、海と語り合ったのち、俺たちは車に戻った。
実はこの日は、単に海に遊びに来たわけではないのだ。
目的地は別にあったのだ。

ついつい海というシチュエーションに酔ってしまい、40分以上も滞在してしまった。
ちょっと先を急がなくてはなるまい。

一方の真熊は、砂浜ランニングにより心地よい疲れができたらしく、眠気を催していた。
これっぽっちの運動なのに、すぐに眠くなってしまうなんて、一体どれだけ緊張感が欠けてしまっているのやら・・・・

西日を浴びながらの大あくび。

いいさ、いいさ!
あくびなら、いくらしたって無料だ。
そんなことより、先を急がなくては・・・・・・
ちょっとしたダッシュで、息は乱さずに眠気だけを催すという実に器用な真熊 ―――

疲れよりも眠気が勝っちゃったらしい。

真熊の睡魔が吹っ飛ぶようなクリックを是非。
【今日の一言】
“ハナ” ちゃんの一件は悲しくて仕方ないけど、我々だけでも元気良くいかないと。
| 真熊お出掛け | 00:30 | comments:9 | trackbacks:0 | TOP↑