秋ゆく街で
どうやら、俺の夏が終わってしまったようです。 むしろ肌寒い日が続いています、局長です。
さすがに秋分の日を迎えてますし、これで 「まだ夏」 なんて言う方が無理がありますな・・・・
――― さて、そんなめっきり秋めいた秋分の日の朝の我が家。

猫たちは俺の足元で熟睡していた。
ちなみに、甘えん坊の “稚葉”(わかば)は、俺の上で熟睡していた。
異常なまでに、常に俺にくっ付いている元野良猫。

真熊は散歩へ行きたいのか、すでに目覚めていた。
しかし、真っ黒い生き物というのは、逆光になると更に写真に写りづらい。
黒い塊にしか見えない。
実はこの前夜―――

“チップ家” に誘われて、飲みに行っていた。
例の、とある競技の大会での惨敗の直後とあって、俺にとっては自棄酒のようなものだったが、やはりビールは荒んだ心を優しく癒してくれた。
ちなみに、チップ家女房は見かけによらずお酒が飲めない。
最初から最後までコーラだ。

2時間くらいしたところで、“餡ドーナツ” も合流。
セミナーがあるとかで、こっちに来ていたらしい。
最近の若いもんにしては付き合いのいいヤツだ。
――― 再び、今朝の我が家の様子に戻る。

真熊の散歩を済ませてリビングに戻ると、例によって行き倒れのような猫の姿が。
寿喜だ。
しかし、今回は暑さにやられているワケではなさそうだ。
秋の陽気であるこの涼しさが心地よいらしい。
実に気持ち良さそうに寝ている。

フローリングという硬さのビハインドをまったく感じさせない、実にすこやかな寝顔。
俺もフローリングだろうが畳だろうが、固い場所で平気で寝てしまうが、ここまでクオリティの高い寝顔は作れないと思う。
その後も、しばらく観察を続けてみる―――

やはり始まった “猫の開き” 。
「警戒心」 という、本来猫がもっているはずの本能が忘れ去られてしまった残念な姿だ。
むしろ、いたたまれない。

・・・・・・起きた。
俺の思いが通じたのだろうか。
そんなわけないか。

やっぱり再び寝た。
日光東照宮の 「眠り猫」 の彫刻をコイツに見せてやりたい。
猫の然るべき寝相とうものを、一から教育する必要がありそうだ。

そんなことを思っていたら、また目が開いた。
やっぱり読心術でもあるのか? コイツ。
油断も隙もあったもんじゃない。

まぁ、この猫に読心術があったところで、何も役に立たなさそうだが・・・・・
急激に秋めいた陽気に、さらに緊張感が欠落していった寿喜に―――

暑すぎず寒すぎず、動物たちにとって
過ごしやすい季節になったのかな?

いつもアリガトウございます m(_ _)m
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【今日の一言】
「秋ゆく街で」 というのは、俺が生まれた年の一年後に行われたオフコースのライブ・タイトルです。
初めてのヒット曲 「眠れぬ夜」 がリリースされる前年のことです。
| 寿喜 | 01:41 | comments:21 | trackbacks:0 | TOP↑