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熊猫犬日記

婚約相手に逃げられた男とその扶養家族:アライグマ・猫・犬(黒ポメラニアン)たちの奮闘記!

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あれから一年・・・

突然だが―――

この週末から今日までの間に、節目というか、いろいろ思い出してしまったり考えてしまったり
する日が3日ほどあった。

※今日はあまり明るい話じゃないかもしれません・・・・



――― まず、7月16日。

3年前のその日、2007年 7月16日は、真熊が我が家の一員になった記念すべき日なのだ。
月曜日であったが、「海の日」 で祝日だった。

婚約相手に逃げられた男』 の章でも綴ったが、近所のホームセンターにテナントで入っている
ペットショップに、にいなのトイレ砂を買いにいった時に、“男をつくって出て行った婚約相手”
すなわち 「広島女」 が、展示ケースの奥ですやすや眠る黒いポメラニアンを見つけたことが
きっかけであった。


別れの情景

※詳しくは 『婚約相手に逃げられた男』 を参照ください。


真熊と暮らし始めて早いもので丸3年・・・・

当初の俺の中での真熊は、広島女が強く欲しがって、その 「うつ病」 対策として “特効薬”
のような期待を背負ってやってきた “広島女のための犬” という感覚だった。


別れの情景

当時は千寿もいたし、にいなもいたし。

しかし、今となっては俺の生活の中心に位置する、かけがえのない存在。
人も犬も猫も、出会いってのはいつも偶然だけど、その存在の大切さというのは
ちょっとしたことで大きく変化するものだと痛感している。


そういえば3年前のその日、真熊を買って帰って、二人で名前を考えていたのだが、
その候補の中には、「16日に来たからイチロー」 なんていう安直な案もあった・・・・



――― 次に 7月19日。

俺が昔から愛読しているブログ 『その後のサザビー』 の主人公、パピヨンのサザビーが
大きな手術を受ける日だ。


『その後のサザビー』

このポメラニアンのブログに遊びにきて下さっている方々には、ひょっとしたら馴染みが
ないかもしれないが、非常に有名な人気ブログである。

元は、 『愛しのサザビー』 というブログだった。
Ayaさんという女性が、愛するサザビーとの日々を送っている最中、不治の病に侵され、
余命が僅かだと知った彼女が、サザビーや、自分がいなくなった後の飼い主になってくれる
人へのメッセージとして綴ったもので、“命” の尊さについて強く考えさせられるものだ。


2006年11月30日、Ayaさんが亡くなり、サザビーはお兄さんが引き取った。
しかし、Ayaさんは死の直前に、今までサザビーを応援してくれていた読者へ、
自分の死後もサザビーの様子を伝えてほしいと願い、お兄さん用に 『その後のサザビー
というブログのフォームを用意していた。

筆不精のお兄さんが、妹の遺言を叶える形で始めた 『その後のサザビー』 。
最初は画像の点数も文章も少なく、イレギュラーに始まった犬との生活に
明らかに困惑している様子が見て分かる内容だった。

それが、日を追うごとに彼の生活はサザビー中心のものに変わっていき、
サザビーのために付き合っていた彼女と別れ、サザビーのために会社を辞めるほと、
サザビーを溺愛していくのがよく分かる。


『その後のサザビー』

そんなサザビーも、10歳になった昨年の7月頃から体調を崩し始め、
年齢的なリスクも手伝い手術に踏み切れずに一年間、苦しみ続けていた。

そしてついに、お兄さんがサザビーの手術を決意。
その執刀日が、昨日 7月19日だったのだ。

我々読者は、みな一様に心配し、手術の成功を祈った。
夜にお兄さんからの報告がアップされていて、手術は無事に成功したとのこと。

とにかく、この兄妹によって綴られてきたサザビーのブログに俺は、改めて動物との
向かい合い方を教えられた気がしている。

※ 『愛しのサザビー』 は書籍化もされています。



――― そして今日、7月20日。

去年のこの日、4ヶ月後に挙式を控えた婚約相手が突然家を出て行った。
くしくも、この日も 「海の日」 。

ここから、俺の生活は180°変わってしまった気がする・・・・


その前日の 7月19日は、至って普通の日だった。
自動車免許のオートマ限定解除のために教習所へ通っていた彼女は、ようやく合格し、
そのお祝いにと、「魚屋路」 で寿司とビールを腹いっぱい堪能していた。


2009年 7月19日

彼女のメンタルは、まだ完全には落ち着いてはいなかったが、以前と比べれば
ずいぶん良くなっていた。


そして、翌日 7月20日は、とある街の不動産屋を回る予定になっていた。
実は引っ越す予定をしていたのだ。

朝、まだベッドにいた彼女の携帯に一通のメールが届く。
その週末に予定されていた、俺が局長を務める 「とある組織」 の “女性だけの飲み会”
の詳細だった。

そこに、彼女が苦手としていた人の名前が、参加人員に含まれていた。
そのメールが届くまで知らなかったことだった。

「○○さんが行くなら行きたくない」

こんな言葉から、彼女のヒステリーが着火した。
うつ病はほぼ治まっていたものの、極度のヒステリーがまだ治っていなかった。
一度着火すると、安定剤の頓服で無理やり抑えるしかなかった。
といっても、簡単には治まらない。

「4ヶ月後に控えた俺たちの挙式にも、その皆さんに参列いただくんだから、
今回は我慢して参加しておいで!」
と諭す俺に―――

「もう出て行く! 出て行けばいいんでしょ?」
と荷物をまとめて、そのまま飛び出してしまった・・・・


別れの情景

実はこの一週間前、7月12日にもヒステリーを起こして家出したことがあった。
些細なことでキレてしまい、荷物をまとめて家を飛び出したのだ。

結局、隣のお婆ちゃん宅に転がり込んでいたらしく、翌朝、お婆ちゃんを伴って
泣きながら謝ってきた。

そんな感じで、不安定な状態が続いていた矢先の出来事だった。


今回の家出も、先週と同じで、翌日には戻ってくるだろう。

俺はその程度に考えていた。
しかし、翌日になっても帰ってくる様子はなかった。
何より、今回は隣のお婆ちゃん宅には行っていなかった。

そこからは、俺もあまり思い出したくないので、詳しくは差し控えるが、
両家そろっての婚約解消協議をし、モメにモメて平行線に終わり・・・・

その後、なんと “男をつくって” いたことが発覚し、弁護士も交えた問題に発展した。


示談書

その間、俺のオカンの急死などもあり、係争を控えた時期もあって、今年の3月末、
こちらの要求を全て飲む形でようやく示談書を取り交わした。


ちなみに彼女は・・・・

2009年 7月20日に俺の家を出て―――

同年 8月15日に婚約解消の協議をし―――

同年 11月22日の挙式をキャンセルし―――

今年のこの週末、すなわち 7月17日か18日に、子供を出産したそうな・・・・・
(とある筋から昨日入電)


う~~ん・・・
人の “常識” って一体なんなんだろう? って考えてしまう。

挙式の3ヶ月前に婚約解消の協議をしたのに、その翌月には早くも別の男の子供を
身ごもっていたんだから、その行動力たるや、常人の域を超えてる気がするな・・・・

示談書を取り交わした時には、当然、苗字も変わっていたし・・・・



なんか長々と綴ってしまったが、上記のこともあり、この 「海の日」 前後って、
俺にとって真熊と出会った大切な日であったのに、今では忌まわしき記憶の日々に
変わってしまったのだ。


あれだけ溺愛していた真熊を、簡単に置いていったのは、“男” が理由だったわけだが、
その後も後ろ髪を引かれることもなかったのは、新しい命が宿っていたからなのね・・・・
所詮、犬と人は違うってことか。

俺の費やした歳月って一体。。。


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