真熊の誕生日 ③
すみません、誕生日ネタで3日も引っ張って・・・・
―――真熊の誕生日の夜。
たかだか真熊が3歳を迎えただけのこと。
何か特別なことをしたわけでもなく、命あるものなら誰でも平等にやってくる誕生日。
それが今日やって来ただけのこと。
だけど何故か今日はすごく嬉しくて、俺も思い切り 「飲んで食って」 したくなった。

そこで、昨日お話した局長家の “本人以外もスペシャルメニュー制度” をどさくさ紛れに
俺にも適用して・・・・
ピザ取って、ビールも 「エビス」 に。
普段はあまりに量を飲んじゃうので、節約のために 「第三のビール」 で我慢しているが、
この日はぜいたくにも 「エビス」 !
「なんでエビス2本あんねん! 誰かおんのか?」 なんて思われては困るので解説しよう。

ノーマルと黒を半分ずつジョッキに注ぐと、昔流行った 「ハーフ&ハーフ」 になるのだ!
ただそれだけのことだ・・・・
しかし、なんでこの日の俺はこんなに嬉しかったのか、考えてみた。
犬・・・・ というか動物は口が聞けない。
当然、体の不調を言葉で訴えることも出来ない。
どんなに飼い主が健康に気をつかっていても、気付いた時には 「もう遅い」 なんてことも
ある、残念だが・・・・

あのペットブログのパイオニア、富士丸が急死した時、
俺もそれを覚悟しておかなくては・・・・ と痛感して、この本を読みながら泣いた。
そして昨年末、今度は元気だったオカンが急逝した。

健康には人一倍気を付けていたのに、いきなり倒れてアッという間に逝ってしまった。
だから、生き物っていうのは、体の回路がちょっとした接触不良を起こしただけでも、
すぐに命に関わる危険に陥ってしまう、とてもモロイものなのだ。
つまり、健康に生きていること自体が奇跡に近いのではないだろうか。
ましてや、自分で病院に通うことすら出来ない動物については尚のこと。
いつの間にか、そう考えるようになった。
だから、1年を無事に過ごせただけでも、安堵感と嬉しさを強く感じてしまうんだと思う。

おぅ!
最高にな!
―――もう一つ、今回の誕生日が特別だった理由がある。
それは、真熊のママが出て行って、初めての誕生日だからだ。
前にも紹介したが、真熊は、当時病気療養中だった俺の婚約相手が
ペットショップで欲しがって 「衝動買い」 したのが出会いだった。
「愛玩動物飼養管理士」 の資格を(一応)もっている俺が、躾けの方法を紙に書いて教え、
彼女が日中それを実践しながら、真熊と一緒に過ごしていた。

つまり真熊は、いつも 「人」 と一緒に過ごしていた。
彼女が社会復帰してからも、18:30には帰宅できていたので、
夕方の散歩では多くの犬友だちに会えて、その後も彼女とめいっぱい遊びながら、
寂しさなんて一切感じずに俺が帰宅するまで待っていた。

当の俺はというと・・・・
朝の散歩と、躾けの仕方の指導、週末のお風呂が担当だったくらいで、
明らかに彼女の方が真熊と長い時間を過ごし、よく面倒を見ていた。
俺の中でも、真熊は 「彼女が強く欲しがって買った犬」 という思いが無意識のうちにあり、
千寿に対する愛情までのものは抱いていなかったような気がする。
そんな中、彼女が急に家を出て行き、真熊の生活は一変した。
18:30には帰ってきてくれていたママは、それから二度と帰ってはこず、
深夜に帰宅する父をひたすら待たなくてはならない日々となった。

散歩も深夜。
オシッコを我慢する時間も長くなり、犬友だちにも会えなくなり、
真熊に残ったものは 「寂しさ」 だけだっただろう。
その間、俺は婚約解消の協議があって、彼女に実は男がいたことが発覚し、
弁護士と協議し、彼女と協議し、支払うものを支払ってもらい・・・・
そんな慌しい日々が続き、日々目まぐるしく過ごしていただけだったが、真熊は・・・・

いつも一番近くにいた人がいなくなり、人と過ごす時間が減り、お友だちとも会えなくなり、
必死に寂しさと戦っていたのだろう。
こんな小さな体で。
どういう思いだったのだろうか。
いて当たり前の人が、突然いなくなってしまうのは・・・・
長々と綴ってしまったが、そんなこんなで去年の誕生日からこの一年、
俺も真熊も色々あったので、ついつい感傷に浸りつつも、二人(一人と一匹)で
一緒に乗り越えたような、そんな充実感があるのだ。

家族は一人減ってしまったが、その分 「絆」 は強くなったような気がした今回の誕生日。
真熊と一緒に俺もまた一つ成長したような気がする。
今後もよろしくな、愛する息子よ。

明日は寿喜との天然な絡みがあるよ!
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| 真熊 | 00:16 | comments:18 | trackbacks:0 | TOP↑