熊猫犬日記

婚約相手に逃げられた男とその扶養家族:アライグマ・猫・犬(黒ポメラニアン)たちの奮闘記!

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婚約相手に逃げられた男

このブログのアップロード時刻、すなわち 2009年11月22日(日)10:30――


実は俺は、今日のこの時間に、鎌倉のとある神社で結婚式を挙げるはずだった。
そして、12:50からは、場所を逗子に移して披露宴を催す予定であった。


ここまで読まれた方は、きっと頭上を 「?」 が飛び回っていることだろう。


去る 8月15日(土)、破談となったのだ。


俺は、2007年の4月から、2年4ヶ月に渡り一緒に暮らしていた女性と結婚する予定になっており、昨年の11月に式場と披露宴会場を予約していた。

その初回打ち合わせのお知らせが式場から届いた7月になり、彼女が突如家を出て行ったのだった。


※今日はあまり動物は関係ない、暗い暗い話です。 興味ない方はスルーして下さいね。



別れの情景
         [実は局長、こんな顔してます… 初公開です]



――2007年3月末、それ以前から心無い人たちによって俺との噂を流されていた彼女は、少しずつ様子がおかしくなり、嫌がりながらも心療内科へ行かせたところ、「抑うつ病」 という診断を受けた。
 
そして仕事も休職することに。


彼女は同じ職場で、仲のいい後輩だった。
しかし俺の脇の甘さもあり、なまじ仲が良かったことでスキャンダラスな噂のターゲットとなっていたのだ。


広島から上京してきた彼女には、実家に戻って静養するか、こちらで療養するかという選択肢が与えられた。
早期の社会復帰を望む彼女は、こっちに残り一人で療養する道を選んだ。

しかし、狭いワンルームマンションで、うつ病の女性が一人で静養する――

素人目に見ても好転するようには思えない。

そこで、とある提案をした。


「日中は俺の家で動物たちと過ごせば?」


当時、我が家にはアライグマの千寿と、猫のにいながいた。

うつ病の人間にとって、人と話したり接したりするのは億劫なことである。
しかし、相手が動物であれば、気が乗らなければ相手にしなければいいし、部屋のドアを閉めてしまうこともできる。

彼女も快諾し、俺が会社に行っている日中は、俺の家で2匹と過ごすことになった。


別れの情景
[千寿を自由に触れる人は少ない。 千寿は彼女に気を許していた]


アライグマの千寿は、彼女の癒しになっていた。

にいなは普段となりのお婆ちゃんちに行っているので、日中は実質千寿しかいない。
すでに13歳になっていた千寿は、とくに彼女に絡んでいくこともなく、ドカッと彼女のとなりに座って、只々一緒にいてあげるのだ。

彼女も一日中、千寿の部屋で過ごしたりしていた。



――そんなある日、彼女は俺の家で激しいパニックを起こした。

包丁で手首を切り、2階のベランダから飛び降りようとしたり、裸足で外へ駆け出したり・・・・


手首の傷は幸い浅かったが、実に2時間以上、抱きしめても押さえつけても手を上げても、彼女のパニックは治まらなかった。

ここで言う 「パニック」 とは、「パニック障害」 のそれではない。
大暴れしながら暴走する、激しいヒステリー状態と思っていただきたい。


翌日、病院へ連れて行き、安定剤を処方してもらったが、それ以降も同様のことが何度も起こった。

ひとたびパニック状態になってしまうと、彼女は俺に対して悪態ばかりつき、とにかく俺を嫌う。
しかし、4時間くらいして症状が治まると、その時のことを何も覚えていないのだ。


いささか不審に思い、彼女に内緒で俺一人病院に行ってみると、先生は俺と二人で話せるのを待っていたようで、言いづらそうに言った。


「彼女、解離性同一性障害だね・・・・」


昔で言う 「多重人格症」 のことだ。

あのパニック状態の時の彼女は、「交代人格」 と呼ばれる、俺のことが大嫌いな全く別の人格だというのだ。
この症状について先生からいろいろ説明を受けると、俺の中でそれまで抱いていた謎が点と点で結ばれていく気がした。


2~3日に一度は現れる別人格との闘いは、本当に地獄だった。
仕事中に電話をかけてきては俺を振り回したり、本当に家を飛び出したり・・・・



――そんなある日、2007年7月16日のこと。

彼女と食料品の買い出しのついでに、ペットショップへ猫のトイレ砂を買いにいった。


ペットショップに行けば、当然、仔犬や仔猫を見てしまう。
どの子も可愛い子ばかりだ。

そしてトイレ砂を探している俺に、彼女が――

「○○(局長)さん! 黒のポメがいるよ!」
と叫んだ。


普段から、「いずれは黒いポメラニアンが飼いたい」 なんてことを俺が言っていたからだろう。

「どれどれ?」 と俺も見に行くと、前後2列で陳列されている後列に、黒いかたまりがいた。
ただ、後ろを向いたまま寝ていたので、顔はよく分からなかった。

別れの情景


ジーっとガラスにへばり付く彼女。

「そろそろ行こうか」 と促す俺。

そこへ、人の良さそうな店員が、いきなりその黒いポメラニアンを抱きかかえてやってきた。

「抱っこしますか?」

まぁ顔が見れなかったし、「じゃぁ」 と抱っこさせてもらった。
ペロペロと俺の顔を舐めてくるが、わりとおとなしい子だった。

次に彼女に抱っこさせる。
すると彼女は顔を舐められながら完全に固まっている。
緊張している様子ではないが、フリーズしてしまっているのだ。


「じゃぁ、店員さんにお返しして帰ろっか」

「・・・・欲しい」

「は?」

「欲しい!」

「欲しいって、生き物だぞ? そんな簡単に欲しがっちゃいけんよ」

俺は時折、彼女に合わせて広島弁を使っていた。


「・・・・欲しい!」

「ダメだよ! 千寿やにいながいるんだから」

「ちゃんと平等に可愛がるから」

「そういう問題じゃないよ。 犬ってのはしつけしたり散歩に連れて行ったり、猫とは違うんだよ」

「できる!」

「お前、病気だろ? 家事だってできない日があるのに毎日の散歩なんて無理だろ?」

「やるもん!」


完全に動物を欲しがる子供と、それをたしなめる父親の会話だ。

彼女が健康だったら検討の余地もあろう。
しかし、彼女はうつ病で休職中なのだ。
毎日エサを与えて、トイレなどのしつけをして、散歩に連れて行って・・・・
健康な人でもかなりの手間を要するそれらを、うつ病と戦いながらできるわけがない。


「いいか? 動物の衝動買いってのが一番やっちゃダメなことなんだよ」

そう言い聞かせるも、どうにも引き下がらない彼女。


結局その場で小一時間 「欲しい」 「ダメ」 の問答が繰り返されたが、俺も少し視線を変えてみた。

うつ病というのは、何かのきっかけで飛躍的に好転することがある。

実は俺の身内にも一人うつ病で苦しむ者がいたが、あることをきっかけに好転した。
犬を飼うという行為が、彼女にとって好転のきっかけになるかもしれない?

こうして一時間にわたる攻防で、結果的には俺が折れる形で、その黒いポメラニアンをカード決済でお買い上げすることに・・・・


さっそく家に連れて帰り、名前を考えた。

当時は胸元に少しだけ白い毛があった。
ネクタイみたいな感じで。

「ツキノワグマみたいだね」

そんな会話から 「熊」 がキーワードになってしまった。


「うちにはアライグマがいるけど、コイツのほうが熊っぽいな」

「じゃぁこっちが真の熊ってことで・・・・」


こうして付いた名前が、真の熊と書いて 「真熊」 ・・・・。

ようやく名前が決まった時、肝心な猫のトイレ砂を買い忘れていることに気付いた。。。


別れの情景
[家に来た日の真熊。 額に毛の抜けた傷があった]


真熊が家に来てからは、彼女に多少の回復の兆しが見えた。

毎朝、毎夕、散歩に連れて行き、ご近所でも犬の散歩仲間ができて、週末は真熊を連れて大きな公園に行ったり、犬同伴可能の施設に遊びに行ったり・・・・


彼女は真熊を溺愛していた。
真熊も彼女に甘えきっていた。

別れの情景
      [真熊に自分と同じ色の浴衣を着せる彼女]


その後、彼女は復職したものの、また調子を崩して再度の休職をした。

未だ例の別人格に苦しめられながら出口の見えない闘いが続いていた2008年5月のある日、実は彼女には3人の交代人格が存在していることが発覚したのだ。

その一人と俺は初めて対面した。

後日また詳しく説明するが、彼女との対面が大きなきっかけを作ってくれた。
いつも俺を苦しめていた例の人格を彼女が封印したのだ。


なんか出来過ぎた小説のようで信じてもらえるか分からないが、まずは 「出てこない」 ところまで進展。

あとは、残ってしまった最後の一人の交代人格をどうするか。
その彼女には母親も含めて 「体を返してあげて」 と説得するのみだったが、これも思わぬ形でいい方向に進んだ。


――そして忘れもしない2008年6月7日。
昼寝から覚めた彼女が言った。


「ガラスの部屋に入っていた二人が部屋ごと左のほうへ消えていって、残っていた一人は砂のようになって消えちゃった」


急ぎ先生(主治医)のところへ連れて行き、諸々の確認をした。

彼女はこれまで、交代人格と入れ代わってしまっていた間のことは何も覚えていなかった。
しかし、それらの失われていた記憶が全てつながっていたのだ。

先生が断言した。

「統合された!」

多重人格は全ての人格を 「統合」 して初めて完治となる。

その後は二度と別の人格が現れることはなかった。
ようやく解離性同一性障害との闘いが終わったのだ。


――しかし、今度は次なる問題が。

いきなり倒れることが頻発したのだ。
病院では 「意識消失性発作」 と言われた。

俺が出勤している間に真熊を散歩に連れて行った彼女が、道中で意識を失い倒れ、発見した人が救急車を呼んで真熊を保護してくれて、となりのお婆ちゃんから俺に連絡が入る――

そんなことが数回あった。


夏休みに俺の実家に行った時もそう。
いきなりボーっとしたかと思うと、そのまま倒れて引き付けを起こす。

別れの情景
      [引き付けを起こした後、気を失う彼女。 真熊は隣で添い寝する…]


先生に紹介状を書いてもらい、大学病院で検査をするも原因が分からない。

しかし症状としては典型的な 「てんかん発作」。
25歳を過ぎてから突然発症することは考えられないが、それ以外に原因も分からないので、とりあえずは坑てんかん薬での治療となった。

また薬が増えた。



――うつ病の症状がかなり良くなった秋、彼女から結婚式の話が出た。


一緒に暮らして闘病するわけだから、「結婚が前提」 というのが双方の親からも条件であった。

当然、我々もそれを望んでいたので、2008年の2月には 「病気が治ったら」 という前提で彼女の両親に結婚の挨拶をして、3月には両家の顔合わせを済ませていた。

その後も籍だけでも入れたいと言われていたが、結婚が大きなプレッシャーになることは望ましくないし、何より 「人生の重大決断」 は、うつ病には厳禁なのだ。


しかし、症状もかなり良くなっているし、真熊が来た時のように、これも好転のきっかけになってくれるのでは?という期待もあって、いい頃合だと判断し彼女の希望通りに式場探しを始めた。


彼女の希望は、神前式。
いとこが明治神宮で挙げた式が印象的だったという。

そこで、挙式を2009年11月22日の 「いい夫婦の日」 に定め、ゼクシィを読み漁り、鎌倉のとても有名な神社にターゲットを絞った。
誰もが知っているあの神社、源実朝が暗殺されたあそこ。


ネット予約が可能で、一年前から受付開始という。
ということは、2008年の11月22日からOK?と考えていたのだが、ひょっとしたら11月1日から受け付けてるかも!と彼女が予想し、その日の早朝、3時くらいだったかな?ネットで調べてみると――


予約受付が開始されている。
しかも22日はすでに片っ端から埋まっている!

なんということだ!
わずか3時間で・・・・

もう空いてるのは 「舞殿」 という神社のど真ん中にあるメインの大きな舞台しかない。
急いでそこを予約。


次の週末には前金を持って正式手続きに行き、披露宴会場のパンフレットを集めて、いざ結婚準備が始まった。

別れの情景


翌週、気に入ったある披露宴会場のブライダルフェアに行き、イメージ通りだったその会場に決め、前金を払って正式予約。

その日から一年間かけてじっくり準備をしていこうと誓い合った。

2008年11月9日のことだった。


その10日後、千寿が突然逝ってしまった。

別れの情景


俺と彼女の中では、千寿は来年の11月22日が喪中とならないように、22日以前に自ら向こう側へ旅立ったではないか――という結論に達した。

だって、それまで何も健康に異常はなかったのだ。

それが、11月19日に、突然逝ってしまったのだ。


恐らく千寿は、来年の11月22日までは生き長らえない…
ということが自分で分かっていたのではないか。

だから、その日が喪に掛からないように、慌てて逝くように、突然その生涯を閉じたのでは――

別れの情景



――年が明けて2009年、いよいよ彼女と結婚する年を迎えた。

昨年、一昨年と闘病生活ばかりであまりいいこともなく、今年こそ幸せな年にしようと二人で意気込んでいた最中、今度は彼女が過呼吸を頻発するようになった。


夜中に救急医療センターに運んだり、いつもの主治医が協力してくれて休診日にも関わらず病院を開けてくれて注射してくれたり、いろいろ苦労しながらも二ヶ月くらいを要しながら過呼吸を抑えていった。


すると今度は、週末のたびに極度のヒステリーを起こすようになった。

ヒステリーといっても、かつてのパニック状態に近い尋常じゃないレベルである。
これも主治医と相談して、紹介してもらったカウンセリングに通うことに。


5月には対人恐怖症に似た症状が出るようになり、すれ違う人から知人、空間、親、主治医、そして俺に対してまで怯えるようになった。

これも休職して実家に帰るなどして何とか治療した。


11月22日に、果たして無事に挙式を行えるのか・・・・
そんな不安が頭をよぎる毎日であった。


そして、突発的な 「家出」 を繰り返したりしながら、7月20日――

まだ二人ともベッドの中にいた朝の9時頃、彼女宛に届いたある一通のメールに対し、突如ヒステリーを起こし、そのまま荷物をまとめて家を飛び出していってしまった。

後日、詳しく説明するが、その後は携帯は着信拒否、メールも受信拒否をされ、連絡すら一切つかない状態にされる事態・・・・


そして、このままではいけないと両家が集まって協議をすることとなり、8月15日に新横浜で会合がもたれた。


それまで病気の娘を全て俺に任せっきりにしていた彼女の両親は、一言もしゃべらない彼女に代わり彼女の意向を代弁する。

それによると、全ての責任は俺にあると言う。
そして婚約解消を要求してくる。


これまで2年4ヶ月にわたり、次から次に起こる先述の症状に対し、生活の全てを犠牲にして対峙してきた自負が俺にはある。

それを全否定されるが如く、何もしてこなかった親どもに責任転嫁をされ、「この婚約解消は正当だ」 と主張される始末。

結局、協議は平行線に・・・・


彼女が家を出てから 8月15日の協議までの間、納得いかない、
合点がいかないことが多々あり、実は俺はとある調査をかけていた。

その調査によると――

彼女には別の男の影があった。
両家の協議があった翌日8月16日には、その男の両親に「彼女」 と紹介されていたことが判明した。


つまり――

結論から言うと――


別の男をつくっていたのだ。

その責任を問われないために、両親をも陥れて、俺の責任のように話を進め、その裏では別の男と次の人生を計画していたのだ。


当然、俺はその後、弁護士に相談し、彼女に対し法的措置をとる旨を通告し、数回の示談交渉を行い、彼女に事実確認をし、完全に証拠を握られた彼女は最終的に白状し、俺の要求を飲む形で現在は話がまとまりつつある。

しかし、示談交渉がまとまれば俺の気持ちが晴れるというわけではない。
彼女のために全てを犠牲にしながら過ごしてきた2年4ヶ月という長い月日は決して戻らない。

彼女のことを親と慕いながらも結果的には捨てられた動物たちの気持ちはどうしてくれるのか。

彼女の好転のきっかけ、原動力となった真熊の気持ちは――



7月20日に彼女が出て行って、8月15日に協議が平行線に終わり、その後、彼女の不貞が明らかになり、俺も正直、心が折れそうになった。

「うつの足音」 というものが聞こえた。


それまでは彼女の病気を治すことに必死で、神経が張っているというか、気が張り詰めていたのだろう。
それがブツッと切れてしまい、それどころか恩を仇で返すようなことをされ、さすがに潰れそうな毎日だった。


俺がこの 「熊猫犬日記」 を始めたのは8月からである。

彼女が出て行って、一切連絡がつかなくなり、両家の協議が行われるまでの20日間――
俺はその苦しみに耐え抜く自信がなかったのだ。

何かをしていないと完全に潰れてしまいそうな自分が分かっていた。


そこで、気持ちを紛らわすことを第一目的として、このブログを始めた。

時間をかけて何かをすることで、きっと気持ちも紛れるだろうと思った。
食中毒を起こした時なんて、協議を数日後に控えた非常にデリケートな時期でもあった。

協議が終わって、彼女とのことに決着がついたら、ブログなんか止めちゃえばいいや――

そんな安易な気持ちで始めたこのブログ。


しかし、いざ始めてみると、2週間ほどした頃にコメントが入るようになった。
知人からも、一日更新をサボるだけでクレームが入るようになった。

このブログを楽しみにしてくれている人が少なからずいることが分かった。


裏でいろいろ辛いことがありながらも、ペットたちに癒される日々。
その辛い部分を打ち消すかのようにブログを更新すると、それに反応をくれる人たちがいる。

ひょっとしたら、何もしていなければ、とっくに心が折れていたかもしれない俺。

でも、ブログで出会った人たちからの暖かいコメントに、日々癒されて――


そうしているうちに、ブログは俺の日課になり、ブログを通しての読者とのやり取りも、この上ない楽しみになっていった。


彼女に対する許せない思いは、今後もそう簡単には消えないだろう。

でも、早期に決着がつこうと、このブログをやめることはありません。


彼女のために家族に招き入れた真熊。
俺たち二人のために慌てて逝ってしまった千寿。

彼女を母親として甘えきっていた寿喜。
毎日彼女と一緒に寝て、誰よりもベッタリしていたにいな。

別れの情景


そして、残りの人生を彼女に捧げようと、
2年4ヶ月にわたり苦しい闘病生活を共にしてきた俺――


結局、全員が裏切られてしまった。

自分の親すら騙して口裏合わせさせて、お世話になった人すべてと関係を断ち切り、
別の男に走った彼女。


今日、俺はどういう気持ちでこの日を迎えられるのか、8月からずっと怯えていた。

本当なら、この一週間くらいは結婚式の最後の準備に追われ、あくせくしながらも幸せな時間を過ごしていたはずだった。

それが、裁判を念頭に弁護士と話を進めたり、調査機関を使ったり、示談交渉をしたり・・・・
まったく想定していなかった日々を過ごしている俺。


未だ彼女からは感謝の気持ちも、謝罪の言葉ももらえていない。
「要求を飲むんだから、それでいいしょ?」
という物言いである。


病気が彼女を変えてしまったのか、病気から覚めた今の彼女が本来の姿なのか――

俺にはさっぱり分からなくなってしまった。


――動物たちは、口を聞けないから、当然彼女のことは何も触れない。
しかし、寂しい気持ちは皆同じだろう。


今日、俺はとある組織の仲間たちと山梨県の忍野に来ている。
この日を一人で迎える自信がなかったから・・・・


明日以降、気持ちを新たに、次の人生を歩んでいけるのか、正直まだ分からない。

でも、俺には支えてくれる扶養家族が3匹もいるし、何よりコイツらを幸せに育ててあげる義務があるし、苦しくても辛くても頑張らなきゃいけないのよね。


何か愚痴っぽい、暗い暗い記事になってしまいましたね。

11月19日の千寿一周忌、その翌日の寿喜一周年と、二日にわたり重い内容だったのに、さらにトドメを刺すような内容の記事で心苦しい限りです。
 

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