千寿の一周忌
早いもので、あれから一年が経ってしまった。

『あらいぐまラスカル』 を見て強く影響を受け、
「大きくなったら絶対にアライグマを飼う」
と心に誓った思いを、そのまま実践する形で
我が家に来たアライグマなのだった。
離乳すらしていない状態で手に入れ、
哺乳瓶でミルクを与えながら育てた。
どこへ行くにもカバンに入れて連れ歩き、一時間おきにお湯を探してはミルクを溶かし、
哺乳瓶で与える日々。
傍から見たら怪しさ120%だ。

[自分で哺乳瓶をもってミルクを飲む姿は悩殺的だった…]
家に来た当時は650gしかなかった小動物は、わずか一年で15kgまで巨大化し、
全盛期には17kgを記録したほどの巨漢に育った。

[家に来た頃の千寿。 俺の足くらいの大きさしかなかった]
ちなみに動物図鑑で 「アライグマ」 を調べると、「体重:7~8kg」 と書いてある。
その差、倍以上・・・・
洗う行為がなければ只の 「クマ」 だ。

[全盛期の頃の千寿。その大きさはハンパじゃない…]
千寿との日々は、「あらいぐまラスカル」 への疑問や怒りを認識していく日々でもあった。
まず、ラスカルの名シーンでもある、
「角砂糖をもらったラスカルがミルクに漬けて洗っていたら、溶けてなくなってしまう」
という場面。

という当たり前の衝動に駆られて、
わざわざ角砂糖を買いに行き、
水桶を用意した状態で千寿に与えてみると・・・・・
水には漬けずにダイレクトに口の中へ。。。
おいおいお~~い!
次に、
「洗濯屋のジムからキャンディーをもらったラスカルは、
器用に包み紙をほどいてキャンディーを取り出し、口いっぱいにほおばる」
という場面。
当然これもライブで見てみたい!と思い、わざわざキャンディー包みした飴を探して買ってきて、
千寿に与えてみると――
ビニールの包みごとダイレクトに口の中へ。。。
そして、バリバリ噛み砕いた後で、イヤそうな顔をしながら引き裂かれたビニールの包み紙を
口から出す醜い光景・・・・
こらこらこら~~!
そして、ラスカルのオープニング。
「スターリングが自転車の前カゴにラスカルを入れて疾走する」
というシーン。

母のママチャリを借りて千寿を前カゴに
セッティングし、走りだすと――
ハンドル伝いに俺の腕にしがみ付き、
そのまま腕伝いに肩まで登ってきてしまった・・・・
ちょぃちょぃちょ~~い!
――てゆうか、そもそもアライグマは世間が思ってるほど洗わない。
初めて与えたものは、とりあえず水に突っ込むが、2回目以降はダイレクトに口の中に入れる。
角砂糖や飴なんて初めてあげたのに・・・・
そして、生後一年くらいで手がつけられなくなること。
よくよく考えてみると、スターリングは
「ミルウォーキーに引っ越す」
という大義名分のもと、生後一年が経ったラスカルをウエントワースの森に放すのだ。

[問題のシーン。 ラスカルを降ろし、一目散にカヌーを漕いで消えていくスターリング]
この 「一年」 という期間は、まさに手がつけられなくなる時期に合致。
ヤツこそ、捨てられたアライグマが野生化して生態系を脅かすきっかけを作った 「お手本」!
しかも、「あらいぐまラスカル」 は、原作者のスターリング・ノースが少年時代を回想した
自叙伝である。
実話なのだ。
おのれスターリング!
アライグマの一番かわいい時期だけ刹那的に飼育して、
あとは 「自然に帰す」 などという都合のいい言い訳のもとリリースしやがって。
アライグマが特定外来生物に指定されて飼育禁止になったのは、お前のせいだ!

――そして、14年間にわたり苦楽を共にしてきたアライグマの千寿は、
2008年の11月19日、慌てて旅立つかのように突然逝ってしまった。
本当に苦労もしたし、たくさん幸せももらった14年間だった。
その日、病院に連れて行った千寿が俺の目の前で息を引き取り、
泣きながら車に乗せてホームセンターに行き、千寿を入れる箱を買い、
花屋で沢山の仏花を買い、八百屋で千寿の好きな果物を買い、
ロウソクやお線香、それらを立てる仏具を買い、
家に帰って温かいタオルで体を拭いてあげて、
さっきの段ボールにお気に入りのバスタオルを敷いて千寿を寝かせ、
買ってきた果物を入れて、千寿が見えなくなるほどお花を入れて、
線香をあげて・・・・

ネットで近隣の火葬場を探して予約を入れて、
あとはただひたすら千寿の横で大の大人が泣きじゃくっていた。
翌日、火葬場に行こうと思った時に、隣のお婆ちゃんから電話が鳴り、
近所でうずくまっているという猫を保護させられ、とりあえず家に連れて帰り放置。
正直、そんなことに気が回らなかった。
しかし、これが後の寿喜なのである。
(この詳細はまた後日に)
仕切り直しで火葬場へ向かい、手続きを済ませ、
炉に入れる台に千寿を寝かせ、
旅立つ千寿に持たせるものを一緒に並べた。
大好きな果物、お腹が空かないように、いつも食べてるドッグフード、
お気に入りのバスタオルと、千寿が逝った時に俺が来ていた服。
初めての場所でも、「父親」 のにおいがあれば少しは落ち着くかな?と。
首輪は外した。
リードも入れなかった。
この世では、首輪を付けて自由を奪ってしまったから、
せめて 「あっち側」 へ行ったら、自由に走りまわれるように。
準備が終わると、係員が事務的に次の作業に進む。
千寿が炉に入れられるのだ。
一時間半くらい待った後、声が掛かる。
そして、炉から出てきた千寿は、何かの標本か図鑑で見たような
ただの骨になってしまっていた・・・・
用意された骨壷に、泣きながら長い箸で骨を拾い、
全部拾い終わると係員が蓋を閉じて包んでくれて、千寿の名前が書かれたラベルを貼られる。

「○○(局長)家 愛 千寿」
と書かれていた。
愛って?
後で分かったのだが、犬なら 「○○家 愛犬 モモ」 といった風に書かれるらしい。
アライグマは、“愛●”に該当する文字が思いつかなかったようだ・・・・
死ぬ間際は12kgあった千寿は、小さな壷に収まるくらいになってしまい、
それを大事に抱えて家に帰った。
千寿の肉体までが消えてしまったのだ。
ここで俺の緊張というか、泣きながらも張り詰めていた糸が完全に切れてしまい、
前日と土日も含めて一週間も会社を休んでしまった。
ポッカリ穴が開いてしまったのだ、心に。
少し落ち着いてから、千寿のお墓を注文し、四十九日にはお経を読める友人に頼んで
形だけでもお墓に 「魂入れ」 をして納骨した。

前にも紹介したが、千寿のお墓は室内用の墓石。
縁もゆかりもない墓地に入れられても寂しいのでは?と思い、
千寿が育ったこの家で、ずっと一緒にいれるようにと、このお墓を用意した。
あれから一年。
千寿が顔を出していた部屋の窓を、外に出るたびに見上げてしまう習慣は今でも抜けない。
ちゃんと天国に行けたのだろうか。
俺と過ごした14年間は少しは幸せだったのだろうか。
俺とめぐり合わなければ、もっと幸せな生涯を過ごせたのだろうか。
いろいろ考えてしまうが、それでも俺と千寿の14年間は確かにあったのだし、
これからも千寿への感謝を忘れずに、思い出に耽りながら生きていこうと思う。
千寿の弟たちの世話もあるしね。
(にいな・真熊・寿喜の3バカ兄弟)

[にいなが初めて千寿に挨拶した日。 ビビるにいなと気にも止めない千寿…]
――千寿よ、今日はお前の好きなビールをお供えします。
生前のように一緒に晩酌しようね!
| 千寿[回想] | 22:29 | comments:9 | trackbacks:0 | TOP↑