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熊猫犬日記

婚約相手に逃げられた男とその扶養家族:アライグマ・猫・犬(黒ポメラニアン)たちの奮闘記!

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節目の736日

皆さま、こんにちわ。

今日はとても個人的な内容です。
てゆうか、ブログってもの自体がそもそも個人的なものなんだから別に構わないのか・・・・



――― 昨日 7月26日(火)は、俺にとってある 「節目」 の日である。


真熊が我が家にやって来てから例の “広島女” が出て行くまでの、真熊にとって 「両親と
暮らした日数」 736日間に対して―――

広島女が出て行ってからの、親が俺だけとなった 「父子家庭生活の日数」 が、736日に
到達し、ついに並んだのである。


20110727_2年と6日①


「なんだ、そんなことか」 と思われるかもしれないが、俺にとっては待ちに待った大きな
節目なのである。



広島女が出て行って、真熊を始めとする息子たちにとっては寂しい日々が続いていたと思う。
それに対してずっと後ろめたさを感じていた。


20110727_2年と6日②

また、真熊の生涯の中で、“ママと暮らした日数” の方が、今の父子家庭生活の日数よりも
長いという、俺にとっては劣等感にも似た何かマイナスな思いがずっとあったのだ。

うまく表現できないのだが。


「まだ俺しかいない生活に慣れていないのでは」 とか、「ママを探しているのでは」 といった
心配がどうしても拭えずにいたのだ。



しかし、その “ママと暮らした日数” と、父子家庭になってからの日数が並んだのだ。


真熊と広島女が過ごした日数


広島女がいなくなってからの日数


真熊の生涯にとって、今後は “ママと暮らした日数” の割合は、当然ではあるが日々少なく
なっていくわけで、あとは自動的に父子家庭の日数の割合が増えていく。

広島女がいた時は、間違いなく俺よりも真熊の面倒を見てくれていたので、これでようやく
俺も 「真熊の面倒を十分に見ている」 と言えるようになった気がするのだ。

本当にうまく言えないんだけど・・・・・



その当時の写真を見ていたら、恐らく最後にお出掛けした時と思われる写真が見つかった。


20110727_2年と6日③

広島女がエントリーしたマラソン大会に車で連れて行き、ゴールまでの約2時間を
真熊と共に待っていたのだ。



20110727_2年と6日④

無事にゴールした後、俺の菩提寺が近かったので先祖のお墓参りして、食事をして帰った。
その一ヶ月後くらいに、ヤツは家を出た・・・・・・・



しかし、そんなの今となっては―――



20110727_2年と6日⑤

消えろ!
忌まわしい記憶と共に!


そうさ、もう真熊にとっては 「ママのいない生活」 の方が長くなるのだ、今日付けで。
もはやこんな過去を思い出す必要性なんかないのだ。



20110727_2年と6日⑥

待っていろ真熊よ。
まだまだ先になるとは思うが、お前の新しいママを見つけられるように父は頑張るから。


ひょっとしたら無理かもしれないけど・・・・・・
希望は捨てるな、とりあえず。

奇跡を信じて待て!



20110727_2年と6日⑦

というわけで、ようやく広島女の呪縛から解き放たれ、今日からは新たな父子家庭生活の
1ページが始まるのだ。


しかし、ムサい・・・・・
ムサ過ぎるぜ、男所帯。

こうなったら新しくメス猫でも家族に迎えようかしら。
にいな、寿喜との旧ドリカム形式にして。




2年ちょいに渡る葛藤から解き放たれた俺のすがすがしさ、多分理解に苦しむかとは
思いますが、とりあえず 「おめでとう」 ってことで―――


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 俺にとっては長い長い2年間でした・・・・



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【今日の一言】

今から節目を祝う宴をします。
平日だってのに。



【被災地のペット支援のためのリンク】

■被災地で迷子になってしまった動物たちの情報サイト

 >>> 『東北地方太平洋沖地震における 迷子 犬・猫 情報サイト


■被災地入りして活動しているドッグレスキュー

 >>> 『ドッグレスキュー UKC JAPAN

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あれから一年・・・ [あとがき]

7月20日の記事 『あれから一年・・・』 に対し、皆さまから思いのほか多くのコメントと反響を
いただいてしまいました。

きっと俺の表現が弱気に感じるような内容だったのでしょう。
多くの方々へ多大な心配をかけてしまったようです。

ご自分の過去の辛い経験をもとに励ましのコメントをくださった方がたくさんいました。
きっと思い出したくないような辛い過去だったでしょうに、俺のためにその箱のフタを開く
ことになってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。



まず最初に、くれぐれもお伝えしておきたいことは―――

●「広島女」 に未練なんてありません。
●「あの時こうしていれば・・・」 といった後悔もありません。



あの日の記事の趣旨は、文字通り 「あれから一年も経ったのかぁ・・・」 という、
早いような遅いような、いろいろあったなぁという率直な感想ですね。


皆さんからのコメント(非コメも含めて)に、
「結婚前にこうなって良かったのでは」
というご意見が多く寄せられていました。

俺もまったく同感です。

去年のあの日、彼女が家を飛び出さずに、それからも何とか関係を保てたとしても、
きっとどこかのタイミングで同じことは起きていたでしょう。 間違いなく。

だって、「男」 は広島女の職場の同僚だったのだから。

すなわち俺と同じ職場でもあります。
部門が違うので、一切関わりはなかったのですが、俺より6歳も上の派遣社員です。

日中は俺のいないとことで毎日顔を合わせているのだし、遅かれ早かれ同じ結果が
待っていたのは火を見るより明らかですよね。



宮島


広島女との別れ方も最悪の形でしたが、むしろこの方が良かったのかなと考えています。

お互いに愛し合っているのに、病気のせいで別れるしかない・・・・
といった “悲恋” じみた終わり方だったとしたら、きっと尾を引いていたことでしょう。

実際、7月20日に彼女が家を飛び出してから一向に帰ってこず、一度電話で連絡を取ると、
「絶対に戻らない。 結婚もしない」
と一方的に言われ、その後は携帯もメールも着信拒否となっていました。

普通に付き合っているだけの関係なら、「じゃ、さようなら」 ってのもアリなのかも
しれませんが、俺たちは4ヶ月後に挙式を控えている関係です。
そんな簡単な問題ではないので、俺は彼女の母親と連絡を取りながら、このままじゃ何も
改善しないのだし、一度両家で集まって協議をしようということになりました。

俺がブログを始めたのも、その時です。
毎日毎日やきもきした気持ちで、心が折れてしまいそうだったからです。

「時間をつぶしたい」
「何かに熱中していたい」

という思いだってのですが、選択肢は他にもあったと思います。
スポーツジムに通うとか、社会人サークルに入るとか。

その中でも 「ブログ」 という選択をしたのは、これまでも何度か紹介してきている
その後のサザビー』 の影響が大きかったと思います。
毎日、読んでは癒される。
俺にとっては、なくてはならない存在でした。
どうせやるなら俺もこうやって多少なりとも世間の役に立つようなことを・・・
なんて善人ぶった考えで始めたものでした。


すると、ブログを始めた翌日、広島女から郵便で手紙が届きました。

内容は、
「○○(局長)さんは怖い時がある。 将来、子供が生まれたら、きっと子供が怖い思いをする。
 だから結婚できない」
というものでした。

それを読んで、ピンと来てしまったのです。

広島女が家を出たきっかけは、「女性だけの飲み会」 の参加メンバーのことでヒステリーに
着火して爆発したものです。
それが、この手紙の内容は全くもって別の話にすり替わっている。

しかも、前々からこんなことを俺が言われていたのなら、広島女もずっと考え続けてこういう
答えに至ったのか・・・・なんてことも考えられたかもしれませんが、まったくもって初めて聞く
ような話です。
ましてや、「子供」 なんて、まずは病気を治すことしか考えていない俺たちには、ほとんど
縁のない話。


そこで俺は分かったんです。
「裏でシナリオを書いている人間がいる」 と。

目星も付いていました。
実は例の派遣社員とは、広島女は2月、3月にもちょくちょく怪しい行動をとっていました。
たまりかねて俺が男本人に直接釘を刺したことがあったのです。


結局、したくはなかったけど、広島女に調査を入れました。
8月15日に予定されていた両家の協議に間に合えば・・・と思っていたのですが、
それは残念ながら間に合いませんでした。


そして、運命の 8月15日。
広島女は両親と共に、待ち合わせしていた新横浜のホテルラウンジに現れました。

結局、2時間以上に渡る協議の中で彼女は一言も口を開かない。
全て両親が彼女に代わって話をする。
遠く広島で、病気の実情など何も見てこなかった両親が。


話しているうちに、よく分かったことがありました。
お盆休みに入り、広島女はすぐに実家の広島に帰り、この日に3人で戻ってきたわけです。
その間の3~4日間ほど、綿密な口裏合わせがされていたってことです。

このまま普通に話が進めば、
「正当な理由なき一方的な婚約不履行」
なので、広島女は俺に対し慰謝料を支払う義務が生じる。
それを防ぐために、「二人の問題」 であり、どうにも結婚が難しいという内容に着地させ、
「双方の都合(問題)による婚約解消」 という決着にさせようと必死だったのです。


俺は、ここへ来るまで2通りの予想をしていました。

一つは、広島女が全てを認めて謝罪してくること。
もう一つは、逆ギレのような形で真っ向から対立してくること。

前者であってほしいと願ってはいたものの、フタを開けてみると、ものの見事に後者でした。


結局、最後まで話は平行線のまま。
俺もこれ以上の話はムダと判断し、
「とりあえず挙式はキャンセルしましょう。 但しキャンセル料は全額そちら負担のこと」
という条件を出しました。
彼女の父親は 「分かりました」 と答え、協議は終わりました。

それから一時間後、3人が我が家へ彼女の荷物を引き取りに、タクシー2台を引き連れて
やってきました。

荷物を全てタクシーに積み込むと、彼女の母親がいきなり俺に言いました。

「二人の問題で挙式をキャンセルしたのですから、○○(局長)さんにも支払い義務があります。
 式場には折半で○○(局長)さんにも請求するように言いましたから」

俺は、「はぁ?」 という思いで、父親の方に問いただします。
「あなた、さっき全額負担するって言いましたよね?」

すると父親は、
「言ってません」
と白を切り始めたのです。

荷物を取りに来るまでの一時間の間に、式場にキャンセルの連絡を入れたのでしょう。
そこで初めてキャンセル料が90万を超える金額と知って慌てたのでしょう。
急に翻意して 「折半」 と言い出したのです。

この父親は協議中も嘘が目立っていました。
俺が何度も突っ込んだが、その嘘を突き通します。
それが、この期に及んでもこの嘘。

ついに俺も堪忍袋の尾が切れて・・・・

「ふざけんじゃねぇぞ、このハゲ!」
と詰め寄りました。

待たされていたタクシーの運転手も唖然とし、母親も彼女も驚いていたが、ヤツらはそのまま
逃げるようにタクシーを走らせました。

話は着いていない。
俺は父親の携帯に電話するも出ない。
母親も出ない。
広島女は着信拒否。

そして、ヤツらがどこへ帰っていったのかさえ分かりません。
俺はやり場のない怒りで、おかしくなりそうでした。


実は、この協議に臨む時点では、正直、俺はまだ彼女に対する思いが強くありました。

「病気が判断を間違えさせている」
という彼女をかばいたい気持ちが強かったんです。
現実、彼女のメンタルは、まだまだ正常とは言えなかったから。

俺の親父も常に言っていました。
「悪いのは○(広島女)ちゃんじゃない。 病気が悪いんだ」 と。


だから、協議の最中でも後でも、もし彼女が 「戻りたい」 と言い出したら、
普通に迎え入れてあげようと考えていました。

しかし、このやり取りで、いくら彼女への気持ちがあっても、この両親とは例え 「義理」
でも親子にはなれないと痛感しました。

これで、俺の中の 「彼女とやり直せるのなら・・・」 という選択肢は消えました。



大和ミュージアム


この翌日には、彼女の両親は広島へ帰りました。
そして、9月に入ってすぐ、例の調査結果が明らかになったんです。
結果は、『婚約相手に逃げられた男』 で書いた通りの内容。


その後は弁護士と協議しながら、広島女と話を進め、結果としてはキャンセル料も全額
広島女に支払わせ、あらゆる要求を飲ませ、それを順守するという誓約書を書かせ、
それら俺からの要求が完遂された時点で示談書を発行し、双方で署名と捺印をし、
先日、晴れて全てが終わったわけです。


そして、この示談交渉の席こそが、俺の広島女に対する気持ちの中に僅かに残っていた
「好意」 を完全に消し去ったのです。


交渉の中で、例の男との関係を問いただすも、彼女は 「絶対にそういう関係にはない」 と
完全否定していました。
そこで俺は切り札でもある、調査レポートによる “写真” を机に置いたんです。
広島女が、世間の目もはばからずに例の男とキスをしている写真を。
その他にも、手をつないでいる写真、彼女のマンションに男が来る写真など。

一瞬、その場に同席した立会人全員の息が止まりました。
さすがに、彼女を疑いきれていなかった誰もが 「本当だったんだ・・・」 という空気になりました。

さて、彼女はどういう発言をするのか。
俺は彼女の誠意に期待していました。

すると・・・

「でも付き合ってはいません」

初志貫徹というか、これまでと全く変わらないことを言う。

「はぁ? じゃぁお前は付き合ってもいない男とこんなことをして、自分の部屋にもあげて、
 手をつないで歩くのか?」
俺も、さすがに呆れてしまいました。

それでも彼女は驚きの回答をします。

「まぁ写真が残ってるといことは、そういうことをしたのは事実なんでしょう。
 でも付き合ってませんから。
 ガッカリしましたか? こんな女で」


そこにいたのは、完全に別人の広島女だった。

俺の知っている広島女は、一人では何も出来ない子で、人に対して敵意をむき出しにする
ことなんて絶対にない、心の優しい、放ってはおけないような子でした。

それが、証拠を突きつけられても逆ギレするような攻撃的な態度。
まったくもって別人の姿でした。


結局、彼女は認めず、ラチがあかない状況になり、やむを得ず相手の男を呼び出して
同じ質問をすることになりました。
すると、男はアッサリと事実を認めたのです。

実はこの男、いい年をして、自分たちの行為がどれほど大変なことかを全く理解していなかった
のです。

「婚約、婚約って言うけど、別に籍を入れてるわけじゃないんだから、そこまで言う権利
 なんてないんじゃない?」
と・・・

そこにいた誰もが呆れましたが、俺は特に相手にもせず、
「お前は家に帰ったらネットで “一方的 婚約破棄” で検索してみろ」
とだけ言い、その男に席を外させました。


男が認めたことで、ようやく観念した広島女は、渋々とこちらの要求を聞くようになりました。
しかし、それでも当初は俺の要求や慰謝料の支払いは固辞する構えでした。
どうやら彼女なりにネットで調べたりもしたらしく、「調停」 に持ち込もうとしていたようです。
さほど費用が掛からないこともあるからでしょう。

でも俺は一貫して、
「調停なんかしない。 要求を飲まないのであれば即裁判」
という姿勢を崩しませんでした。

俺にこれだけ証拠を握られてしまっている彼女は、裁判になれば勝ち目がないのは確か。
弁護士費用など、ただ失費だけが増える結果になります。

こうして、ようやく誓約書に署名をしたのでした。



尾道七福めぐり


俺が局長を務める 「とある組織」 のメンバーで、広島女と仲の良かった女性がいました。
その女性に、この一件を伝えると、こう言いました。

「もう私たちの知ってる○ちゃん(広島女)は消えちゃったんですね」


本当に・・・・
本当にその言葉が全てを物語っていました。

俺が2年半にわたって支えてきた彼女は、あの示談交渉の席にいた女ではありませんでした。

後日、機会があって、広島女の母親と話をしました。
そこで俺は、どちらが本当の彼女なのかを聞いてみました。

すると、
「多分、今の姿が本来の○(広島女)かもしれません。
 昔から、彼氏を従えるような気の強さがありました。
 でも、○○(局長)さんと一緒にいる○(広島女)は、いつもの逆でしたから」
と言う。


俺が職場で出会った彼女は、最初から俺が知っている姿でした。
うつ病や解離性同一性障害を発症して、一緒に暮らすようになってからも、
ずっと同じ姿でした。


でも、その彼女は完全に消えたんです。
あの協議の席で見せた彼女の姿が今の彼女なのだから。

だから、俺からは未練も心残りも何もないんです。
今のあの彼女は、俺が好きになった彼女とはかけ離れているし、きっとこの先も平然と
人を裏切るのでしょう。
そしてあの両親が、彼女が何をしても全力で擁護し、綿密な口裏合わせをして、
彼女の火消しに奔走することでしょう。



最後に、この2年半を振り返ると、時間をムダにした感は否めませんが、
それでも100%ムダにしたとは思っていないんです。
普通に人生を送っていたら決して経験できないようなことを経験できたので。

ここまでメンタルの病気と真正面から向き合うことも、人の心の裏表を知ることも、
人生の大きな障害を乗り越える術も、普通だったら経験できないことだったんですからね。


ということで、俺が広島女との過去を綴るのは、決して未練や、後を引きずる思い
なのではなく、「すっきりしている」 からこそ書けるネタなんです。
(みーちゃんのコメント、俺をよく理解してくれてる・・・ってビビリました)


今後も、たまには書くことがあるかと思います。
でも、それは彼女をおとしめるためでもなく、「悲劇の主人公」 を演じるためでもなく、
同じような経験をしている人と、発想や情報を共有できれば・・・という考えです。

今まさに、こういったピンチに直面している人の役に立てれば本望ですし、
昔のことを引きずっている人を元気付けられれば、願ったり叶ったりです。


長々と綴ってしまいましたが、皆さまご心配をお掛けして申し訳ございませんでした。
俺は大丈夫です。
広島女は、放っておいても不幸な末路をたどるだけですからね。



男だけの生活

重苦しい内容になってしまいましたが、明日からはいつもの軽い感じのネタに
もどりますからね!



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あれから一年・・・

突然だが―――

この週末から今日までの間に、節目というか、いろいろ思い出してしまったり考えてしまったり
する日が3日ほどあった。

※今日はあまり明るい話じゃないかもしれません・・・・



――― まず、7月16日。

3年前のその日、2007年 7月16日は、真熊が我が家の一員になった記念すべき日なのだ。
月曜日であったが、「海の日」 で祝日だった。

婚約相手に逃げられた男』 の章でも綴ったが、近所のホームセンターにテナントで入っている
ペットショップに、にいなのトイレ砂を買いにいった時に、“男をつくって出て行った婚約相手”
すなわち 「広島女」 が、展示ケースの奥ですやすや眠る黒いポメラニアンを見つけたことが
きっかけであった。


別れの情景

※詳しくは 『婚約相手に逃げられた男』 を参照ください。


真熊と暮らし始めて早いもので丸3年・・・・

当初の俺の中での真熊は、広島女が強く欲しがって、その 「うつ病」 対策として “特効薬”
のような期待を背負ってやってきた “広島女のための犬” という感覚だった。


別れの情景

当時は千寿もいたし、にいなもいたし。

しかし、今となっては俺の生活の中心に位置する、かけがえのない存在。
人も犬も猫も、出会いってのはいつも偶然だけど、その存在の大切さというのは
ちょっとしたことで大きく変化するものだと痛感している。


そういえば3年前のその日、真熊を買って帰って、二人で名前を考えていたのだが、
その候補の中には、「16日に来たからイチロー」 なんていう安直な案もあった・・・・



――― 次に 7月19日。

俺が昔から愛読しているブログ 『その後のサザビー』 の主人公、パピヨンのサザビーが
大きな手術を受ける日だ。


『その後のサザビー』

このポメラニアンのブログに遊びにきて下さっている方々には、ひょっとしたら馴染みが
ないかもしれないが、非常に有名な人気ブログである。

元は、 『愛しのサザビー』 というブログだった。
Ayaさんという女性が、愛するサザビーとの日々を送っている最中、不治の病に侵され、
余命が僅かだと知った彼女が、サザビーや、自分がいなくなった後の飼い主になってくれる
人へのメッセージとして綴ったもので、“命” の尊さについて強く考えさせられるものだ。


2006年11月30日、Ayaさんが亡くなり、サザビーはお兄さんが引き取った。
しかし、Ayaさんは死の直前に、今までサザビーを応援してくれていた読者へ、
自分の死後もサザビーの様子を伝えてほしいと願い、お兄さん用に 『その後のサザビー
というブログのフォームを用意していた。

筆不精のお兄さんが、妹の遺言を叶える形で始めた 『その後のサザビー』 。
最初は画像の点数も文章も少なく、イレギュラーに始まった犬との生活に
明らかに困惑している様子が見て分かる内容だった。

それが、日を追うごとに彼の生活はサザビー中心のものに変わっていき、
サザビーのために付き合っていた彼女と別れ、サザビーのために会社を辞めるほと、
サザビーを溺愛していくのがよく分かる。


『その後のサザビー』

そんなサザビーも、10歳になった昨年の7月頃から体調を崩し始め、
年齢的なリスクも手伝い手術に踏み切れずに一年間、苦しみ続けていた。

そしてついに、お兄さんがサザビーの手術を決意。
その執刀日が、昨日 7月19日だったのだ。

我々読者は、みな一様に心配し、手術の成功を祈った。
夜にお兄さんからの報告がアップされていて、手術は無事に成功したとのこと。

とにかく、この兄妹によって綴られてきたサザビーのブログに俺は、改めて動物との
向かい合い方を教えられた気がしている。

※ 『愛しのサザビー』 は書籍化もされています。



――― そして今日、7月20日。

去年のこの日、4ヶ月後に挙式を控えた婚約相手が突然家を出て行った。
くしくも、この日も 「海の日」 。

ここから、俺の生活は180°変わってしまった気がする・・・・


その前日の 7月19日は、至って普通の日だった。
自動車免許のオートマ限定解除のために教習所へ通っていた彼女は、ようやく合格し、
そのお祝いにと、「魚屋路」 で寿司とビールを腹いっぱい堪能していた。


2009年 7月19日

彼女のメンタルは、まだ完全には落ち着いてはいなかったが、以前と比べれば
ずいぶん良くなっていた。


そして、翌日 7月20日は、とある街の不動産屋を回る予定になっていた。
実は引っ越す予定をしていたのだ。

朝、まだベッドにいた彼女の携帯に一通のメールが届く。
その週末に予定されていた、俺が局長を務める 「とある組織」 の “女性だけの飲み会”
の詳細だった。

そこに、彼女が苦手としていた人の名前が、参加人員に含まれていた。
そのメールが届くまで知らなかったことだった。

「○○さんが行くなら行きたくない」

こんな言葉から、彼女のヒステリーが着火した。
うつ病はほぼ治まっていたものの、極度のヒステリーがまだ治っていなかった。
一度着火すると、安定剤の頓服で無理やり抑えるしかなかった。
といっても、簡単には治まらない。

「4ヶ月後に控えた俺たちの挙式にも、その皆さんに参列いただくんだから、
今回は我慢して参加しておいで!」
と諭す俺に―――

「もう出て行く! 出て行けばいいんでしょ?」
と荷物をまとめて、そのまま飛び出してしまった・・・・


別れの情景

実はこの一週間前、7月12日にもヒステリーを起こして家出したことがあった。
些細なことでキレてしまい、荷物をまとめて家を飛び出したのだ。

結局、隣のお婆ちゃん宅に転がり込んでいたらしく、翌朝、お婆ちゃんを伴って
泣きながら謝ってきた。

そんな感じで、不安定な状態が続いていた矢先の出来事だった。


今回の家出も、先週と同じで、翌日には戻ってくるだろう。

俺はその程度に考えていた。
しかし、翌日になっても帰ってくる様子はなかった。
何より、今回は隣のお婆ちゃん宅には行っていなかった。

そこからは、俺もあまり思い出したくないので、詳しくは差し控えるが、
両家そろっての婚約解消協議をし、モメにモメて平行線に終わり・・・・

その後、なんと “男をつくって” いたことが発覚し、弁護士も交えた問題に発展した。


示談書

その間、俺のオカンの急死などもあり、係争を控えた時期もあって、今年の3月末、
こちらの要求を全て飲む形でようやく示談書を取り交わした。


ちなみに彼女は・・・・

2009年 7月20日に俺の家を出て―――

同年 8月15日に婚約解消の協議をし―――

同年 11月22日の挙式をキャンセルし―――

今年のこの週末、すなわち 7月17日か18日に、子供を出産したそうな・・・・・
(とある筋から昨日入電)


う~~ん・・・
人の “常識” って一体なんなんだろう? って考えてしまう。

挙式の3ヶ月前に婚約解消の協議をしたのに、その翌月には早くも別の男の子供を
身ごもっていたんだから、その行動力たるや、常人の域を超えてる気がするな・・・・

示談書を取り交わした時には、当然、苗字も変わっていたし・・・・



なんか長々と綴ってしまったが、上記のこともあり、この 「海の日」 前後って、
俺にとって真熊と出会った大切な日であったのに、今では忌まわしき記憶の日々に
変わってしまったのだ。


あれだけ溺愛していた真熊を、簡単に置いていったのは、“男” が理由だったわけだが、
その後も後ろ髪を引かれることもなかったのは、新しい命が宿っていたからなのね・・・・
所詮、犬と人は違うってことか。

俺の費やした歳月って一体。。。


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11/22、それはXデー…

昨日は、非常に重たい告白をしてしまい・・・・

にも関わらず、たくさんの温かいコメントをいただき、心より感謝しております。


その中でも触れましたが、この11月22日を何事もなく一人で迎えられる自信がなかったので、
私の率いるとある組織の仲間たちと、山梨県の忍野まで小旅行に行ってきました。

ペットブログとは関係なくなってしまうのですが、
ツッコミどころ満載のネタがいくつかあったので、とりあえず紹介しちゃいます。。。



11/22はXデー…

とりあえず、俺の車で一路、忍野まで向かう。
メンバーは計10名。


そうこうしている間に――

11/22はXデー…

本来なら俺の披露宴が始まっている時間に。。。


忍野八海に到着。
さっそく八つの池を回る過程で――


11/22はXデー…

ここで撮影すると富士山が写るのか?

――写ってないけど?



11/22はXデー…

うまいかマズイかは飲んだ客が決めることだ!



11/22はXデー…

アバウトな安売りセール・・・・



11/22はXデー…

お前らが福を招くとは思えない・・・・



11/22はXデー…

新しい切り口の 「豚さん貯金箱」・・・・

しかも――


11/22はXデー…

高いよ! 売る気あんのか!



11/22はXデー…

人件費削減ですね?

てゆうか、さっきの 「9,500円」 クラスのお金をこの箱に?
セキュリティ甘すぎるでしょ!



11/22はXデー…

なんの?



11/22はXデー…

バッタモン発見!

花畑牧場さん、訴えたほうがいいですよ・・・・


ここからは宿で――


11/22はXデー…

最高の芋焼酎 『三岳』 をもってきてくれた偉大なメンバーが。

堪能する俺と飲んべえ娘たち・・・・



11/22はXデー…

俺の大好きな芋焼酎 『燃島』 まで!

さっそく飲み比べ♪



11/22はXデー…

翌朝、すなわち今日11月23日――

気持ちいいくらいの快晴!
宿の窓から富士山が見える♪



11/22はXデー…

導かれるが如く、富士の五合目まで行ってしまった。

雲海がスゴい幻想的だった。
(逆光だけど…)



そんなこんなで家に帰ると――

11/22はXデー…

なんか予想外に真熊の反応が薄かった。。。


ちなみに今回はオカンに留守番を頼んだ。
親父は何か用があるらしく来なかった。

あの親父に真熊よりも大事な用なんてあるのか???


そんな真熊のリアクションはイマイチだったけど、一つ喜ばしい出来事も――


11/22はXデー…

犬猿の仲である[にいな]と寿喜がくっついて寝ていたのだ。

俺の留守中に和解したのか?

何はともあれ、明日以降もその関係を維持してくれ!

| 婚約相手に逃げられた男 | 23:56 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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婚約相手に逃げられた男

このブログのアップロード時刻、すなわち 2009年11月22日(日)10:30――


実は俺は、今日のこの時間に、鎌倉のとある神社で結婚式を挙げるはずだった。
そして、12:50からは、場所を逗子に移して披露宴を催す予定であった。


ここまで読まれた方は、きっと頭上を 「?」 が飛び回っていることだろう。


去る 8月15日(土)、破談となったのだ。


俺は、2007年の4月から、2年4ヶ月に渡り一緒に暮らしていた女性と結婚する予定になっており、昨年の11月に式場と披露宴会場を予約していた。

その初回打ち合わせのお知らせが式場から届いた7月になり、彼女が突如家を出て行ったのだった。


※今日はあまり動物は関係ない、暗い暗い話です。 興味ない方はスルーして下さいね。



別れの情景
         [実は局長、こんな顔してます… 初公開です]



――2007年3月末、それ以前から心無い人たちによって俺との噂を流されていた彼女は、少しずつ様子がおかしくなり、嫌がりながらも心療内科へ行かせたところ、「抑うつ病」 という診断を受けた。
 
そして仕事も休職することに。


彼女は同じ職場で、仲のいい後輩だった。
しかし俺の脇の甘さもあり、なまじ仲が良かったことでスキャンダラスな噂のターゲットとなっていたのだ。


広島から上京してきた彼女には、実家に戻って静養するか、こちらで療養するかという選択肢が与えられた。
早期の社会復帰を望む彼女は、こっちに残り一人で療養する道を選んだ。

しかし、狭いワンルームマンションで、うつ病の女性が一人で静養する――

素人目に見ても好転するようには思えない。

そこで、とある提案をした。


「日中は俺の家で動物たちと過ごせば?」


当時、我が家にはアライグマの千寿と、猫のにいながいた。

うつ病の人間にとって、人と話したり接したりするのは億劫なことである。
しかし、相手が動物であれば、気が乗らなければ相手にしなければいいし、部屋のドアを閉めてしまうこともできる。

彼女も快諾し、俺が会社に行っている日中は、俺の家で2匹と過ごすことになった。


別れの情景
[千寿を自由に触れる人は少ない。 千寿は彼女に気を許していた]


アライグマの千寿は、彼女の癒しになっていた。

にいなは普段となりのお婆ちゃんちに行っているので、日中は実質千寿しかいない。
すでに13歳になっていた千寿は、とくに彼女に絡んでいくこともなく、ドカッと彼女のとなりに座って、只々一緒にいてあげるのだ。

彼女も一日中、千寿の部屋で過ごしたりしていた。



――そんなある日、彼女は俺の家で激しいパニックを起こした。

包丁で手首を切り、2階のベランダから飛び降りようとしたり、裸足で外へ駆け出したり・・・・


手首の傷は幸い浅かったが、実に2時間以上、抱きしめても押さえつけても手を上げても、彼女のパニックは治まらなかった。

ここで言う 「パニック」 とは、「パニック障害」 のそれではない。
大暴れしながら暴走する、激しいヒステリー状態と思っていただきたい。


翌日、病院へ連れて行き、安定剤を処方してもらったが、それ以降も同様のことが何度も起こった。

ひとたびパニック状態になってしまうと、彼女は俺に対して悪態ばかりつき、とにかく俺を嫌う。
しかし、4時間くらいして症状が治まると、その時のことを何も覚えていないのだ。


いささか不審に思い、彼女に内緒で俺一人病院に行ってみると、先生は俺と二人で話せるのを待っていたようで、言いづらそうに言った。


「彼女、解離性同一性障害だね・・・・」


昔で言う 「多重人格症」 のことだ。

あのパニック状態の時の彼女は、「交代人格」 と呼ばれる、俺のことが大嫌いな全く別の人格だというのだ。
この症状について先生からいろいろ説明を受けると、俺の中でそれまで抱いていた謎が点と点で結ばれていく気がした。


2~3日に一度は現れる別人格との闘いは、本当に地獄だった。
仕事中に電話をかけてきては俺を振り回したり、本当に家を飛び出したり・・・・



――そんなある日、2007年7月16日のこと。

彼女と食料品の買い出しのついでに、ペットショップへ猫のトイレ砂を買いにいった。


ペットショップに行けば、当然、仔犬や仔猫を見てしまう。
どの子も可愛い子ばかりだ。

そしてトイレ砂を探している俺に、彼女が――

「○○(局長)さん! 黒のポメがいるよ!」
と叫んだ。


普段から、「いずれは黒いポメラニアンが飼いたい」 なんてことを俺が言っていたからだろう。

「どれどれ?」 と俺も見に行くと、前後2列で陳列されている後列に、黒いかたまりがいた。
ただ、後ろを向いたまま寝ていたので、顔はよく分からなかった。

別れの情景


ジーっとガラスにへばり付く彼女。

「そろそろ行こうか」 と促す俺。

そこへ、人の良さそうな店員が、いきなりその黒いポメラニアンを抱きかかえてやってきた。

「抱っこしますか?」

まぁ顔が見れなかったし、「じゃぁ」 と抱っこさせてもらった。
ペロペロと俺の顔を舐めてくるが、わりとおとなしい子だった。

次に彼女に抱っこさせる。
すると彼女は顔を舐められながら完全に固まっている。
緊張している様子ではないが、フリーズしてしまっているのだ。


「じゃぁ、店員さんにお返しして帰ろっか」

「・・・・欲しい」

「は?」

「欲しい!」

「欲しいって、生き物だぞ? そんな簡単に欲しがっちゃいけんよ」

俺は時折、彼女に合わせて広島弁を使っていた。


「・・・・欲しい!」

「ダメだよ! 千寿やにいながいるんだから」

「ちゃんと平等に可愛がるから」

「そういう問題じゃないよ。 犬ってのはしつけしたり散歩に連れて行ったり、猫とは違うんだよ」

「できる!」

「お前、病気だろ? 家事だってできない日があるのに毎日の散歩なんて無理だろ?」

「やるもん!」


完全に動物を欲しがる子供と、それをたしなめる父親の会話だ。

彼女が健康だったら検討の余地もあろう。
しかし、彼女はうつ病で休職中なのだ。
毎日エサを与えて、トイレなどのしつけをして、散歩に連れて行って・・・・
健康な人でもかなりの手間を要するそれらを、うつ病と戦いながらできるわけがない。


「いいか? 動物の衝動買いってのが一番やっちゃダメなことなんだよ」

そう言い聞かせるも、どうにも引き下がらない彼女。


結局その場で小一時間 「欲しい」 「ダメ」 の問答が繰り返されたが、俺も少し視線を変えてみた。

うつ病というのは、何かのきっかけで飛躍的に好転することがある。

実は俺の身内にも一人うつ病で苦しむ者がいたが、あることをきっかけに好転した。
犬を飼うという行為が、彼女にとって好転のきっかけになるかもしれない?

こうして一時間にわたる攻防で、結果的には俺が折れる形で、その黒いポメラニアンをカード決済でお買い上げすることに・・・・


さっそく家に連れて帰り、名前を考えた。

当時は胸元に少しだけ白い毛があった。
ネクタイみたいな感じで。

「ツキノワグマみたいだね」

そんな会話から 「熊」 がキーワードになってしまった。


「うちにはアライグマがいるけど、コイツのほうが熊っぽいな」

「じゃぁこっちが真の熊ってことで・・・・」


こうして付いた名前が、真の熊と書いて 「真熊」 ・・・・。

ようやく名前が決まった時、肝心な猫のトイレ砂を買い忘れていることに気付いた。。。


別れの情景
[家に来た日の真熊。 額に毛の抜けた傷があった]


真熊が家に来てからは、彼女に多少の回復の兆しが見えた。

毎朝、毎夕、散歩に連れて行き、ご近所でも犬の散歩仲間ができて、週末は真熊を連れて大きな公園に行ったり、犬同伴可能の施設に遊びに行ったり・・・・


彼女は真熊を溺愛していた。
真熊も彼女に甘えきっていた。

別れの情景
      [真熊に自分と同じ色の浴衣を着せる彼女]


その後、彼女は復職したものの、また調子を崩して再度の休職をした。

未だ例の別人格に苦しめられながら出口の見えない闘いが続いていた2008年5月のある日、実は彼女には3人の交代人格が存在していることが発覚したのだ。

その一人と俺は初めて対面した。

後日また詳しく説明するが、彼女との対面が大きなきっかけを作ってくれた。
いつも俺を苦しめていた例の人格を彼女が封印したのだ。


なんか出来過ぎた小説のようで信じてもらえるか分からないが、まずは 「出てこない」 ところまで進展。

あとは、残ってしまった最後の一人の交代人格をどうするか。
その彼女には母親も含めて 「体を返してあげて」 と説得するのみだったが、これも思わぬ形でいい方向に進んだ。


――そして忘れもしない2008年6月7日。
昼寝から覚めた彼女が言った。


「ガラスの部屋に入っていた二人が部屋ごと左のほうへ消えていって、残っていた一人は砂のようになって消えちゃった」


急ぎ先生(主治医)のところへ連れて行き、諸々の確認をした。

彼女はこれまで、交代人格と入れ代わってしまっていた間のことは何も覚えていなかった。
しかし、それらの失われていた記憶が全てつながっていたのだ。

先生が断言した。

「統合された!」

多重人格は全ての人格を 「統合」 して初めて完治となる。

その後は二度と別の人格が現れることはなかった。
ようやく解離性同一性障害との闘いが終わったのだ。


――しかし、今度は次なる問題が。

いきなり倒れることが頻発したのだ。
病院では 「意識消失性発作」 と言われた。

俺が出勤している間に真熊を散歩に連れて行った彼女が、道中で意識を失い倒れ、発見した人が救急車を呼んで真熊を保護してくれて、となりのお婆ちゃんから俺に連絡が入る――

そんなことが数回あった。


夏休みに俺の実家に行った時もそう。
いきなりボーっとしたかと思うと、そのまま倒れて引き付けを起こす。

別れの情景
      [引き付けを起こした後、気を失う彼女。 真熊は隣で添い寝する…]


先生に紹介状を書いてもらい、大学病院で検査をするも原因が分からない。

しかし症状としては典型的な 「てんかん発作」。
25歳を過ぎてから突然発症することは考えられないが、それ以外に原因も分からないので、とりあえずは坑てんかん薬での治療となった。

また薬が増えた。



――うつ病の症状がかなり良くなった秋、彼女から結婚式の話が出た。


一緒に暮らして闘病するわけだから、「結婚が前提」 というのが双方の親からも条件であった。

当然、我々もそれを望んでいたので、2008年の2月には 「病気が治ったら」 という前提で彼女の両親に結婚の挨拶をして、3月には両家の顔合わせを済ませていた。

その後も籍だけでも入れたいと言われていたが、結婚が大きなプレッシャーになることは望ましくないし、何より 「人生の重大決断」 は、うつ病には厳禁なのだ。


しかし、症状もかなり良くなっているし、真熊が来た時のように、これも好転のきっかけになってくれるのでは?という期待もあって、いい頃合だと判断し彼女の希望通りに式場探しを始めた。


彼女の希望は、神前式。
いとこが明治神宮で挙げた式が印象的だったという。

そこで、挙式を2009年11月22日の 「いい夫婦の日」 に定め、ゼクシィを読み漁り、鎌倉のとても有名な神社にターゲットを絞った。
誰もが知っているあの神社、源実朝が暗殺されたあそこ。


ネット予約が可能で、一年前から受付開始という。
ということは、2008年の11月22日からOK?と考えていたのだが、ひょっとしたら11月1日から受け付けてるかも!と彼女が予想し、その日の早朝、3時くらいだったかな?ネットで調べてみると――


予約受付が開始されている。
しかも22日はすでに片っ端から埋まっている!

なんということだ!
わずか3時間で・・・・

もう空いてるのは 「舞殿」 という神社のど真ん中にあるメインの大きな舞台しかない。
急いでそこを予約。


次の週末には前金を持って正式手続きに行き、披露宴会場のパンフレットを集めて、いざ結婚準備が始まった。

別れの情景


翌週、気に入ったある披露宴会場のブライダルフェアに行き、イメージ通りだったその会場に決め、前金を払って正式予約。

その日から一年間かけてじっくり準備をしていこうと誓い合った。

2008年11月9日のことだった。


その10日後、千寿が突然逝ってしまった。

別れの情景


俺と彼女の中では、千寿は来年の11月22日が喪中とならないように、22日以前に自ら向こう側へ旅立ったではないか――という結論に達した。

だって、それまで何も健康に異常はなかったのだ。

それが、11月19日に、突然逝ってしまったのだ。


恐らく千寿は、来年の11月22日までは生き長らえない…
ということが自分で分かっていたのではないか。

だから、その日が喪に掛からないように、慌てて逝くように、突然その生涯を閉じたのでは――

別れの情景



――年が明けて2009年、いよいよ彼女と結婚する年を迎えた。

昨年、一昨年と闘病生活ばかりであまりいいこともなく、今年こそ幸せな年にしようと二人で意気込んでいた最中、今度は彼女が過呼吸を頻発するようになった。


夜中に救急医療センターに運んだり、いつもの主治医が協力してくれて休診日にも関わらず病院を開けてくれて注射してくれたり、いろいろ苦労しながらも二ヶ月くらいを要しながら過呼吸を抑えていった。


すると今度は、週末のたびに極度のヒステリーを起こすようになった。

ヒステリーといっても、かつてのパニック状態に近い尋常じゃないレベルである。
これも主治医と相談して、紹介してもらったカウンセリングに通うことに。


5月には対人恐怖症に似た症状が出るようになり、すれ違う人から知人、空間、親、主治医、そして俺に対してまで怯えるようになった。

これも休職して実家に帰るなどして何とか治療した。


11月22日に、果たして無事に挙式を行えるのか・・・・
そんな不安が頭をよぎる毎日であった。


そして、突発的な 「家出」 を繰り返したりしながら、7月20日――

まだ二人ともベッドの中にいた朝の9時頃、彼女宛に届いたある一通のメールに対し、突如ヒステリーを起こし、そのまま荷物をまとめて家を飛び出していってしまった。

後日、詳しく説明するが、その後は携帯は着信拒否、メールも受信拒否をされ、連絡すら一切つかない状態にされる事態・・・・


そして、このままではいけないと両家が集まって協議をすることとなり、8月15日に新横浜で会合がもたれた。


それまで病気の娘を全て俺に任せっきりにしていた彼女の両親は、一言もしゃべらない彼女に代わり彼女の意向を代弁する。

それによると、全ての責任は俺にあると言う。
そして婚約解消を要求してくる。


これまで2年4ヶ月にわたり、次から次に起こる先述の症状に対し、生活の全てを犠牲にして対峙してきた自負が俺にはある。

それを全否定されるが如く、何もしてこなかった親どもに責任転嫁をされ、「この婚約解消は正当だ」 と主張される始末。

結局、協議は平行線に・・・・


彼女が家を出てから 8月15日の協議までの間、納得いかない、
合点がいかないことが多々あり、実は俺はとある調査をかけていた。

その調査によると――

彼女には別の男の影があった。
両家の協議があった翌日8月16日には、その男の両親に「彼女」 と紹介されていたことが判明した。


つまり――

結論から言うと――


別の男をつくっていたのだ。

その責任を問われないために、両親をも陥れて、俺の責任のように話を進め、その裏では別の男と次の人生を計画していたのだ。


当然、俺はその後、弁護士に相談し、彼女に対し法的措置をとる旨を通告し、数回の示談交渉を行い、彼女に事実確認をし、完全に証拠を握られた彼女は最終的に白状し、俺の要求を飲む形で現在は話がまとまりつつある。

しかし、示談交渉がまとまれば俺の気持ちが晴れるというわけではない。
彼女のために全てを犠牲にしながら過ごしてきた2年4ヶ月という長い月日は決して戻らない。

彼女のことを親と慕いながらも結果的には捨てられた動物たちの気持ちはどうしてくれるのか。

彼女の好転のきっかけ、原動力となった真熊の気持ちは――



7月20日に彼女が出て行って、8月15日に協議が平行線に終わり、その後、彼女の不貞が明らかになり、俺も正直、心が折れそうになった。

「うつの足音」 というものが聞こえた。


それまでは彼女の病気を治すことに必死で、神経が張っているというか、気が張り詰めていたのだろう。
それがブツッと切れてしまい、それどころか恩を仇で返すようなことをされ、さすがに潰れそうな毎日だった。


俺がこの 「熊猫犬日記」 を始めたのは8月からである。

彼女が出て行って、一切連絡がつかなくなり、両家の協議が行われるまでの20日間――
俺はその苦しみに耐え抜く自信がなかったのだ。

何かをしていないと完全に潰れてしまいそうな自分が分かっていた。


そこで、気持ちを紛らわすことを第一目的として、このブログを始めた。

時間をかけて何かをすることで、きっと気持ちも紛れるだろうと思った。
食中毒を起こした時なんて、協議を数日後に控えた非常にデリケートな時期でもあった。

協議が終わって、彼女とのことに決着がついたら、ブログなんか止めちゃえばいいや――

そんな安易な気持ちで始めたこのブログ。


しかし、いざ始めてみると、2週間ほどした頃にコメントが入るようになった。
知人からも、一日更新をサボるだけでクレームが入るようになった。

このブログを楽しみにしてくれている人が少なからずいることが分かった。


裏でいろいろ辛いことがありながらも、ペットたちに癒される日々。
その辛い部分を打ち消すかのようにブログを更新すると、それに反応をくれる人たちがいる。

ひょっとしたら、何もしていなければ、とっくに心が折れていたかもしれない俺。

でも、ブログで出会った人たちからの暖かいコメントに、日々癒されて――


そうしているうちに、ブログは俺の日課になり、ブログを通しての読者とのやり取りも、この上ない楽しみになっていった。


彼女に対する許せない思いは、今後もそう簡単には消えないだろう。

でも、早期に決着がつこうと、このブログをやめることはありません。


彼女のために家族に招き入れた真熊。
俺たち二人のために慌てて逝ってしまった千寿。

彼女を母親として甘えきっていた寿喜。
毎日彼女と一緒に寝て、誰よりもベッタリしていたにいな。

別れの情景


そして、残りの人生を彼女に捧げようと、
2年4ヶ月にわたり苦しい闘病生活を共にしてきた俺――


結局、全員が裏切られてしまった。

自分の親すら騙して口裏合わせさせて、お世話になった人すべてと関係を断ち切り、
別の男に走った彼女。


今日、俺はどういう気持ちでこの日を迎えられるのか、8月からずっと怯えていた。

本当なら、この一週間くらいは結婚式の最後の準備に追われ、あくせくしながらも幸せな時間を過ごしていたはずだった。

それが、裁判を念頭に弁護士と話を進めたり、調査機関を使ったり、示談交渉をしたり・・・・
まったく想定していなかった日々を過ごしている俺。


未だ彼女からは感謝の気持ちも、謝罪の言葉ももらえていない。
「要求を飲むんだから、それでいいしょ?」
という物言いである。


病気が彼女を変えてしまったのか、病気から覚めた今の彼女が本来の姿なのか――

俺にはさっぱり分からなくなってしまった。


――動物たちは、口を聞けないから、当然彼女のことは何も触れない。
しかし、寂しい気持ちは皆同じだろう。


今日、俺はとある組織の仲間たちと山梨県の忍野に来ている。
この日を一人で迎える自信がなかったから・・・・


明日以降、気持ちを新たに、次の人生を歩んでいけるのか、正直まだ分からない。

でも、俺には支えてくれる扶養家族が3匹もいるし、何よりコイツらを幸せに育ててあげる義務があるし、苦しくても辛くても頑張らなきゃいけないのよね。


何か愚痴っぽい、暗い暗い記事になってしまいましたね。

11月19日の千寿一周忌、その翌日の寿喜一周年と、二日にわたり重い内容だったのに、さらにトドメを刺すような内容の記事で心苦しい限りです。
 

| 婚約相手に逃げられた男 | 10:30 | comments:33 | trackbacks:0 | TOP↑

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